Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

一万回も呟いたか

2019-08-13 | SNS・BLOG研究
いつもながらのブルーマンデーである。中々仕事が捗らない。日曜日のスイスからの放送は、疲れて忘れて、眠ってしまったていた。スイスの中継VPNがダウンしているようで中身は確認していないが、ユジャ・ワンの音楽祭デビューである2009年のクラウディオ・アバド指揮のプロコフィエフ三番と、昨年のキリル・ペトレンコ指揮の演奏が比較されて放送されたようだ。後者はARTEのものを落としたので、それとの質の比較となる。その後先日ラディオ放送されたのでそれほど関心は無い。前者の者も他所では観れるようだが、文字通り比較してみたい。

呟きが一万件を超えた。最初はBlogの更新お知らせのようなものだったが、知らない内に回数が増えた。それでも二つのBlogと放送などのお知らせ情報が主で、その他はコメント程度しかない。それでも数は増える。

ザルツブルクからの「イドメネオ」生中継を流した。流石に無料お試しでは切ってくる。だからまともには観れない。この機会を狙って制限を掛けてくるのは商売としては正しい。しかしそこで再読み込み度に流れるロレックスの宣伝は馬鹿だ。イメージを悪くするだけで、そもそもロレックスの高価な時計を買おうという人はそんなケチな考えは持たない。無料で見ようとする人には見識がある。だから悪いイメージしか植え付けない。少なくともロレックスのご厚意で30分ほどご覧くださいと流す方が有難味が湧く。ぶつぶつ切られると逆恨み感情しか湧かないだろう。それでも気にしない私は概ねの骨子を掴もうと読み込みを繰り返す。

ざっと一幕を観た感じではやはり大分「ティトュス」とは異なる。舞台も平面的で、緊張感も生まれていない。個人や合唱の演技自体はあまり変わらないが、同じ暗めの舞台でもハイライトがあまり当たっていない。全体の演出からそのようになっていると思われるが、細かな感情が演技として活きない。ソリスツにもキャラクターを示すだけの存在感が欠ける。一人の歌手の眼が大きく表情豊かだっただけでも前回は違った。何よりも欠けるのはドラマテュルークの構成で、可成り不味い。その大きな責任は音楽にあるのは間違いなく、舞台関係者が性格を正確に研ぎ澄まして強化していくためには音楽的に能弁でないと駄目なのだ。責任は指揮者クレンツィスにある。

音楽でドラマを作れない限り演出が何をやっても駄目なことは明らかだが、この舞台を見ていると悪いウィルソンのそれよりも冴えない。逆に復活祭の様にメータ指揮でドラマの骨子が出来上るとそれでもとても説得力が出てくる。二幕、平土間で歌わせて何を得ようとしたのだ。

因みに歌の一人一人は全然悪くない。評価がされにくいラッセル・ト-マスでも「ティートュス」の時よりも単調ではなくなってきている。残りはこれもオンデマンドになるならば一通り観れるのではなかろうか。



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
無視にしか価しないもの 2019-07-29 | マスメディア批評

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