Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暴漢に向かったBASF社員

2018-06-12 | マスメディア批評
パンを取りに行って、森へ向かう。車中のラディオはマコン大統領のその思想からそのEU政治を解いていた。大統領が今やEUを世界を動かす政治家であり、それだけ優秀な人物であることは知っていた。しかし彼が「エリーゼ宮のモーツァルト」と呼ばれていたとは知らなかった。「浪速のモーツァルト」という人も健在なので、レコーディングもあるヘルムート・シュミット独首相を完全に超えていて、本当に神童だったのかどうかも知らない。嘗てはポーランドかにもピアニストの元首が居たり、クルト・マズーアでも大統領候補に挙がっていたこともあるぐらいだから驚かないが、フッセール哲学などを深く学び、更に少年ピアニストとしても優勝しているとすれば、この人物の青少年時代の生活が知れよう ― 臨床医者の家庭で父親は教授らしい。必ずしも知的な政治家が立派な政治家とは限らないが、少なくとも「回想の政治」からの理念の政治は、それが議論の叩き台となる。現在のように知的水準が低く場当たり的な政策をぶち上げる為政者が権力を乱用する世界となれば、フランスが価値基準とする民主主義の基本である議論すらも成り立たなくなる。

内田光子の弾き振りの録音を聞いた。2007年の録音で一曲目の無指揮者の立ったままで演奏したディヴェルティメントを聞くと、昔風の演奏で、この程度ならばベルリンの楽団でも間違いなく弾ける程度だった。その後の内田光子のピアノと演奏も悪くは無かったが、現在のこの楽団から期待するほどの演奏ではなかった。指揮者の問題だけでなく、現在のように統一や徹底がされていない様子である。要するにセル時代のようなそれは期待出来なくて、現在のそれはその時から継続していなかったという事になる。こちらでも話題になったのはその後のツアーだった。

新幹線で暴漢にあって亡くなったのはBASFの日本法人の人のようだ。プラスティック関連の人のようだが住まいからすると大阪勤務だったのだろう。太陽電池関連とするとやはり顔料なのだろう。38歳というからまだこれからこちら本社ルートヴィヒスハーフェンでの研修などもあったと思う。ネットで見ると女性に切りつけた暴漢に挑みかかったという事だが、勤務柄跳ね上がり者はあまり居ないので、防御と正義感で暴漢に立ち向かったのだと想像する。進行方向の二列後ろで突然そのようなことを感じたらなので、容易に逃げられなかったのかもしれない。二人の女性への犯行途中であったとすれば猶更だろう。なるほど反社会的な気持ちの強い容疑者にとっては、それほど草臥れていないような様子の勤め人というだけで、殺ってしまう決意が湧くのも分からないではない。

それにしても、こうした被害者に落ち度があったのかどうかが話題になっていたようだが、なにかそこに如何にも日本社会の鬱屈のようなものを感じる。そして容疑者の名前が公表されていて、その家族などにインタヴューするというのと、被害者の名前を挙げて色々と詮索するのとは全く同じ様に暇な日本人の悪趣味な関心ごとなのである。このような容疑者をも罪に問えるという前提がそこにあり、被疑者を死者として弄ぶ日本社会の風土がとても醜い。一体そこのどこに公共性などがあるのかと思われるむら社会には何時ものことながら辟易する。

シカゴからの放送は、ストリーミング自体がAAC‐LCで256kbs出ている。これは決して悪くはない。タイマーで録音したのだがやはりこれも最初が音無しで、50分過ぎから70分ほど録音されていた。原因は引き続き鋭意調査中だが、前半は吹っ飛んで、不思議なことに後半のサミュエル・アダムスという作曲家の新曲から綺麗に録れていた。偶然かも知れないが、その前の解説部分に中断などがあったので何らかの技術的な作動があったのだろう。調査の重要な資料になる。録音自体は昨年の三月のもののようである。だから翌週の放送のプログラムも昨年バーデンバーデンで聞いた「はげ山の一夜」が含まれている。

さて関心ごとのシカゴの交響楽団の出来であるが、プログラム次第のシューマンの交響曲四番は、そのまま先日ルクセムブルクで聞いて、フィラデルフィアでの実況放送録音もあり、フィラデルフィア管弦楽団との聴き比べとなる。さっと聞いたところ、呟きなどでの下馬評の「シカゴが上」は証明されなかった。そもそも昨年のバーデンバーデン、ルクセムブルクのクリーヴランド、フィラデルフィアと比べて、シカゴにはアドヴァンテージは殆ど無いことは分かっていたが、やはり気になったので態々放送を録音したのでもある。

なるほどこのクラスの大管弦楽団の比較になると容易に甲乙が下せないのは当然だろう。例えばアダムスの曲ではまるでロンドンのシムフォニカーのようなパリパリとした響きがムーティ指揮で鳴り響くのだから驚いてしまう。しかしシューマンなどを聞くとその指揮がたとえネゼセガンのように振れていないとしても、中低音部へのアンサムブルのあまい弦楽だけならまだしも管楽器との掛け合いでフィラデルフィアの様には全く合わせられないことが良く分かる。「ロマンツェ」のチェロソロはこちらの方が上手いぐらいだからソロスツクラスはより優れているのだろう。しかし指揮の技術だけでなく、またサウンドの問題でもなく、純粋に管弦楽がどれぐらい楽譜を正確に合奏出来るかという点では現在のシカゴは低迷しているというのが正直な感想である。だからキリル・ペトレンコをマエストロの引退後にと狙っていたのだろう。



参照:
遮断される聴空間 2018-05-20 | 雑感
マンハイム、対岸の火事 2016-10-19 | 雑感
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