Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

またまたオタクな生活

2018-06-11 | 
喧噪の二晩目をやり過ごした。ノイズキャンセリングのお陰で精神状態は正常に保たれている。これだけ気温が高くて窓を閉めるとなると発狂するところだ。ご近所さんもバイエルンのチェコ国境へと旅立った。二週間して戻ってくる。避難する人は少なくない。そのような中で正常な精神状態で居座るのは大変だ。先ずはキャンセリングのお陰で窓を開けて生活して就寝時にだけ閉める。

そのお陰で20時からの放送を聞き逃した。イヤフォーンでじっとしていて脳内の視界が開かなかったからだ。皆に知らせておきながらカウフマンの「オテロ」を聞き逃した。それでも三幕の「柳の歌」からは聞いた。デズデモーナも悪くなかったが、なんといってもパパーノ指揮のコヴェントハウスの座付き管弦楽団が見事だった。ミュンヘンのそれでは可能だろうかと思わせるピアニッシモなどの歌いぶりが見事でスカラ座よりも上手いかもしれない。テムポを落としながらも自然と流れる指揮にも感心して、オペラ指揮者としては五本の指に入るような指揮者であることを再確認した。それでもそれに続く器楽部分がなぜかジンタのようになって、まるでこれがイタリアのオペラの歴史だと言わんばかりなのだが、どうしてもこうしたところにこのオペラ指揮者の自己顕示欲を感じて仕方がない ― ヴェルディ解釈の本質的な問題をここに指摘するには暮れのペトレンコ指揮を聞いてからにしたい。そしてお待ちかねのカウフマン、流石に細やかなところも音楽的に正確に読み込んでいて、その声のコントロールと共に金の取れる芸術家だ。ペトレンコ指揮での暮れの実演を期待する前に、先ずは月末への期待が膨らむ。

夜中二時の録音をセットしたが目が醒めていたので見ると、なぜかクリーヴランドからの生中継のソースが落ちていて ― 研究課題である ―、既に始まっていたバーンスタイン自身のインタヴューは充分に聞けなかった。マニュアルに切り替えて録音した。1970年7月9日の録音で、その月末に監督セルが亡くなる前の演奏会だ。だから予想通り一楽章での一糸乱れずの弦の合わせ方も後のシカゴのそれとは異なり柔軟で美しく、当時のニューヨークのそれとは透明感が全く異なる。弦ほどには管などは現在ほど細やかな演奏は出来ていないが、ホールによって養われたそのアンサムブルの特徴は変わらない。バーンスタインの解釈はLPの録音と変わらないが、あのクールな管弦楽団が演奏することでとても興味深い。今晩の内田光子の弾き振りと、シカゴからのムーティの伴奏が益々楽しみになって来た。

晩年にもイスラエルフィルやニューヨークフィルだけでなく、欧州でもヴィーナーやコンセルトヘボーなどの暑苦しい管弦楽団でマーラーを指揮することが多かったが、ベルリンでの演奏などもとてもその解釈の細部が分るもので、学究的な興味を引くものだった。それと同じような細部がここでも聞き取れる。そして、恐らく細かく聞くほど、何か似ているものを思い起こすのである。演奏実践の方法は異なるが、どうもバーンスタインの解釈に最も近いのはキリル・ペトレンコのそれだと気がつき出す。バーンスタイン節の効果ばかりが印象に残るのだが、その実はマーラールネッサンスの本質にこの指揮者の読譜が寄与するところが多いだろう。要するにペトレンコのあのバカ丁寧な読み取りを想起させるものは、もう一方の大きな市場を獲得したショルティー指揮の大音量に結びつく演奏実践と相まって車の両輪となっていた要素だろう、そのことがルネッサンスのもう一面であったという事になる。

ミュンヘンで評判のマーラー演奏実践のもう一つの雄であるヤンソンス指揮放送交響楽団のヴィデオをイヤフォーンを付けて観た。ここ暫く世界の頂点の管弦楽を立て続けに聞いた後ではなんともその差は埋め難い。指揮者の責任だけではなく、やはりドイツの放送局の中では少しマシという程度で、その楽員の顔ぶれも老齢化している。先ずはホームグラウンド会場が出来て十年ほど経たないと駄目だろう。トュッティ―も弦楽も管楽も強引な指揮でよさそうに聞こえるが、実際のアンサムブルはオスロフィルに毛が生えた程度でしかない。少なくともクーベリック監督時代の昔からその傾向や程度はそれほど変わっていない。
Elbphilharmonie LIVE | Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks & Mariss Jansons


注文したティケットが早速届いた。数が出ないイレギュラーな発売なので手が空いていると見える。アムステルダムのハイティンクも購入しなくてよかった。日曜日はまた代役である。前回はペトレンコのキャンセルで捨てたので64ユーロ寄付となった。今回は、ジョルダンのコンサートにしろ、ブロムシュテットやハイティンクにしても行かなかっただけの費用で、ノイズキャンセリングの購入費が賄える。やはり片道二時間以上かけて出かけるとなると、よほど価値のある出し物でないとリスクだけが高まるだけだ。



参照:
祭りの喧噪もなんのその 2018-06-10 | 音
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
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