Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

指揮者の手解き次第

2018-08-04 | 雑感
暗くなっても暑かった。バルコンで横になっていた。すると結構気持ち良いのだが、屋根裏部屋のベットに行くまでには少し時間を置いた。一日で一番気持ち良い時間だ。引き続き火星の輝きが激しい。あそこまで光ると写真を撮りたくなる。しかし三脚が無いのでまともな天体写真は撮れない。小さくてもしっかりした三脚があればと探してみたい。

仕事となるとご苦労様と思う。あの暑いバイロイトで良いものも悪いものも見聞きして記事にしなければいけないからだ。クーラーの効いたホテルに居るのかどうか知らないが、あまり愉快な仕事ではないだろう。ドミンゴの指揮の報告が載っている。問題を、丁寧に書いていて、記者に言わせるとこうなる。

通常の劇場と違う蓋付きのピットであるから、指揮のその打ちからのその距離感は大きく、とても危ういのにそれに責任を持つというドミンゴの勇気に言及する。つまり「指揮者は歌手に任せてはいけなく、引率しなければいけない。さもなくば、どんどんゆっくりになってしまう」とそのメカニズムを説明する。

このメカニズムは簡単なようで意外にそれほど直感的に理解出来ないかもしれない。つまり、普通の音楽愛好家はどうしても客席側での音響を考えるから、そこに届く前に起こっていることがなかなか把握出来ない。肝心なのは楽器と声が合うことでしかないが、例えば歌手が楽器の音を待っていて発声したのでは遅れるという事になる。

今回の生放送中に「シュテファン・グールドが息が続かなくて死んでしまう」というような指摘があったが、まさしく奈落の音を待っていて声を出すと、その次は今度は指揮者がそれに合わせて、それがまた遅れてとなると減速のループに入る。それがまさにあそこで起こっていた。あれはあれでプロのそれも超一流の歌手と管弦楽団での超面白実験だった。

これが少しでも分かるのは「三部作」でのペトレンコの指揮を舞台と客席の間で観ていたからだ。なにも加速域だけでなくて、ゆっくりしたところでも特別に歌手に指揮をするところがあって、本当に少しのずれを振り別けるのは「春の祭典」の複拍子どころではないのではと感じた。語学やピアノなんかと同じで子供の時かどんなに遅くとも20歳代の前半までに身に着けていないとどうしようもない技能なのだろう。

ドミンゴのそれほどブーを受けた指揮者は今までいないようだが、なるほど今まで登場した大植までを含めた指揮者は本当のプロの指揮者で蓋付きで合わせれるかどうかは時間の問題でしかないのだろう。初代音楽監督でも反復練習してマスターするものであるから、基礎のある指揮者では克服可能なのだろう。逆にあれだけ時間差があればキュウは出しやすいのかもしれない。楽譜にマークを付けておけばよい。クナッパーツブッシュなどという指揮者はその辺りを上手く逆利用していたのか、兎に角「パルシファル」などになるとアダム・フィッシャーあたりでも引き摺ったと批判されているので、容易な楽譜と困難な楽譜があるのは確かだ。

そのコツをご丁寧にネルソンズに手取り足取り教えようとしたのが初代音楽監督だが、今回は「クリスティアンはヴァークナーの権威だから」とまで言わせた大歌手ドミンゴに懇切丁寧になぜ解決策を授けられなかったのだろうか。またまた不信感を感じる。大恥をかかせるために大歌手を招聘したのかと言われても仕方がない。性悪な連中のことを考えるとそこに疑心暗鬼が募るばかりだ。

さて前日のガッティ解任騒動に対して、その反論がなされている。「アメリカの話しは古い話し」でとして逃げれたが、今回のコンセルトヘボー楽員の反旗は決定的だった。そしてガッティ側は法廷闘争も辞さずと、このままネガティヴキャムペーンが続くならと牽制した。コンセルトヘボーはそれなりの証言が得られたのだろうから、負けることは無いとしているのだろうが、その他のベルリンのフィルハーモニカーを含む客演する管弦楽団、特に客演に多く登場するべルリンの対応が注目される。コンセルトヘボーから事実関係への情報提供を求めて、もし告訴されても勝てる準備をしなければいけないのだろう。牽制の効果は少なくとも代替の発表を遅らせるかもしれない。どうみてもアメリカでの件は時効のような事例で、コンセルトヘボーの皆を驚かせた早期の明確な処置は、「舌をねじ込んだキスや身体を弄る」などがアムステルダムでも明らかに最近まで為されていたとしか思えない事象が確認されたという事だろう。

もう一つ興味深いのは、8月2日正午の広報時点で、月末からのツアープログラムの代替指揮者が定まっていなかった気配があることだ。つまり3日正午時点ではまだ代替指揮者の発表がなされていない。通常ならば契約解消前にその後の影響がどうなるかを検討して発表する筈だが、間髪を入れずに訂正が無いとはどういうことか?組織としてシェフの裁定権がどのようになっているかなど定まっていて、首を切るまでは少なくともアーティスト選定に動けなかったのかもしれない。要するにクーデターなどと同じように首を残しておくと横槍が入る可能性があったとなる。すると余計にツアーまで一月を切った契約解消は時間的な制約もあり、可成りばたばたと後先無しに動いた可能性も捨てきれない。もしかしてまだスキャンダラスな事実が明るみになるという事なのだろうか?



参照:
満期ご奉公御免まで 2018-08-03 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女

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