Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

焼き魚の骨を箸で解す

2019-06-22 | 
承前)アイヴスの交響曲体験は素晴らしかった。意識を変えさせるに十分な要素はその管弦楽の鳴りに関するもので、ここでまたあまりにも鋭い不協和を聞けたのはとても良かった。協和音に関する含蓄は嫌と言うほど聞かさせるが、不協和に関するものはまた異なる。四分音やその繋がりを幾ら幾つもの平均律を並べて試奏やまたはハースの作品に芸術化してもやはりこうした不協和の体験にまでは至らない。あまりにもラフな形を以ってこうして響かされると全く異なる意味を持つ。要するに無調とかの語法とは異なる響きとなる。

ケントナガノの指揮が偶々そのように魅力的な響きを引き出したとかではないが、とても現在の管弦楽のもう一つの響きを示唆していてとても興味深かった。如何にこうした鋭い響きを芸術的に鳴らせるかという事でもある。

所謂ロシアのモダニズムやまた騒音音楽、若しくはショスタコーヴィッチなどにも繋がる無調では、不協和音とでもいえる系譜にもう一つはヴァーレーズを代表とするような扱い方がある。実際には機械文明の音化などからブルックナーの交響曲なども一つの源泉とするのかもしれないが ― こちらの方はギーレンの指揮によらないまでも12音技法へと連なる。丁度上のハースにおける四分音の創作へと流れる。

そもそもアイヴスの交響曲の調性が逆にこの曲を粥の様にしているのであるが、それはケントナガノまでに今まで誰もここまで振っていなかったからではないかとも思う。なるほどマイクを通した響きではその実態が捉えきれないところもあるのだが、副指揮者陣と共に見事な音響としていた。

ケントナガノの指揮に改めて感心したのは、ピンチャーの点描風の音楽においてもテムポの運び様が見事で、勿論キリル・ペトレンコのその天才的な腕前とは全く異なるものなのだが、ここまで職人芸的にまるで焼き魚の骨を箸で解していくような妙技は中々の見世物だった。

その指揮は、一月にハムブルクの劇場でも見たのだが、やはり今回の方が見せ場が多かった。その前に見たのはベルリンのフィルハーモニーでシュトックハウゼンを振った時だった。印象からするとその時よりも大分無駄が無くなってきているのではないかと感じたが、思い過ごしだろうか?

現任との年齢は大分異なるが、当時のザルツブルクでの議論からすれば、バイエルンの放送局の次の指揮者はこの人しかいないのではないかと感じるようになった。そもそも放送交響楽団であるからメインレパートリーもピンチャーのような曲であり、アイヴスなどをしっかり振って、その他のヴァークナーやベートーヴェンなど幾らでもゲストで振る指揮者がいる。そんなものは振らないでいい。

当日のガイダンスでは、ピンチャーのコントラクラリネット曲に続いて、アイヴスとレオン・テレミンの繋がりをお孫さんが実演を兼ねて話していた。招聘などを執り成しをしていたのは指揮者のストコフスキーだと理解した。左手を上下させて音量、右手で音程やその表情を反映するというシムプルな楽器だが、名人に掛かれば表現力は現在のシンセサイザーなどよりも遥かに高いところもある。まさにこのアメリカの作曲家の立ち位置が分かるような話しとなった。

7月11日に前日初日の演奏会の実況録音が放送されるので、それを待ちたいと思う。また異なることにも気が付くかもしれない。(終わり)



参照:
エポックメーキングなこと 2017-12-02 | 文化一般
三人指揮者の交響楽 2019-06-15 | 雑感

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