Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

東向きゃ尾は西に

2018-10-12 | 文化一般
週末土曜日にリガからの放送がある。初めて聴く放送局だが、そこからリツイートして呉れたのでその存在を知った。まだ中継放送には呟いていなかったが、局のサイトに土曜日19時から国立オペラ劇場からの中継予定が入っていた。フランクフルトと同じプログラムであまり評判の良くないアドリウス・ズェニティス作「マラ」が楽しみだ。何回か聴けばもう少し細かく分析できる。その評判の悪さは私が書いたように二十世紀後半のモダーンの模倣となっていて、独自性は最後の管のソロなどにしかないというものなのだが、これでは聞き落としていると思う。但しハッキリしているのは、ネルソンズ指揮の功績が偉大で、これだけの大編成の曲をツアーで流していく幸運に肖っているというのは間違いない。またそれに耐えるだけの管弦楽法は、その作曲リストで示されているように書き慣れていることに矛盾しない。こうした曲に地元の放送局がしっかりとバックアップしていくことは重要であり、まさしく国を挙げての文化事業なのだ。

偶々車中のラディオでゲオギアン出身のヴァイオリン奏者リサ・バティシュヴィリが、折からのフランクフルトでの書籍見本市のテーマ国となっている故郷についても語っている。この人も12歳からドイツに移住して故郷とは離れていながら、今や間違いなく文化親善大使であり、多くの印象を我々に与えている。なるほどその国の地政的な難しさから、同情や共感無しには語れないのは分かる気がする。オーボエ奏者の旦那との家庭生活に関しても、演奏家としての面と、妻であり二児の母である三役の関係についても語っていて、家庭生活が芸術家としての幅を与え、反対に家庭生活では芸術を通しての人間的な成長がなにも教育だけでなく家庭生活をも豊かにするというとても優秀な答え方をしている。超一流になる音楽家は受け応えも流石に違う。しかしデルジェス1739年のG線が取り分け素晴らしくて、シベリウスの協奏曲二楽章がなどと言われると気になり、どうしても聴きたいとなるのではなかろうか、凄い宣伝効果だ。なるほど彼女にとってシベリウスのコンクールが登竜門だったとあるからこれまた仕方が無い。それにしても彼女からマリアカラスの名前が出て歌声のような可能性のある楽器とあったのは意外だった。

このようにかつてはあまり興味も無く東欧から出て来るセンスの無い演奏家は全てユダヤ系でイスラエル国籍か何かだと思っていたが、今は多彩な才能が北は南から西欧に来て活躍している。それだけ徐々に社会が安定してきているという傍証で、ベルリンのフィルハーモニカーが文化使節として東欧へ出向くことと、私たちが西へと向けていた視線を東側へと向けて、それこそEUの文化的な多様性を謳歌できるようになって来たことはとても幸福な現実だ。そうした文化的な交流において芸術の果たす役割は嘗て以上に大きくなって来ている。

この夏のエストニアからの管弦楽団などは従来の東欧感を覆すものではなく、所詮東欧の印象しかもたなかったが、世界的に注目され実力のある指揮者のネルソンズなどが、とても気の利いたプログラミングを組むことで、その東欧への意識は更に深まる。ネルソンズ指揮のマーラーも東欧枠のプログラミングの中に嵌められていて、新曲とあまり変わらない管弦楽のパレットが使われてことから、地元のライプチッヒなどではその相違として新曲にはマーラーのエクスタシーが無いとされていたが、あの演奏実践のどこにそれほどの恍惚があっただろうかと思った。アングロサクソンの諸国を筆頭にマーラーの欧州的な特徴がショービズ化して大きな市場となって久しいが、もう少し丁度バーンスタインのマーラールネッサンスでは脱落していった本来のボヘミア的な要素を見極める必要がある。クーベリック指揮の録音などを思い起こす向きもあると思うが、あの素朴さだけでは不十分であるのは当然であろう。今日的な視点がどうしてもそこに影響するのは間違いないとしても上の新曲などの底に流れる文化的な多様性への視座こそが期待されるところだ。一連のプログラミングにそのような意志を見た。

ライプチッヒ管弦楽団275周年の記念切手を入手した。赤色が嘗ての東独を思い起こさせるが、中々使い易そうでいい。その管弦楽団への評価もこうした指揮者を迎えたことから余計にその本質に迫られている。今回のツアーである程度示されるのは、まさしく中央ドイツが中央であったこと以上に、東欧まで領域を広げた中で観察すれば、その独自のプロテスタンティズムの文化的発展とローカリズムが浮き彫りにされることで、とても収まり易くなって来ている。ベルリンのフィルハーモニカーにおけるローカリズムなどを考えるうえでやはりこの伝統はとても重要な指標になってくると思われる。



参照:
グァルネリ・デルジェスの音 2018-08-20 | 女
需要の大きさに拘わらず 2018-10-11 | 文化一般

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 需要の大きさに拘わらず | トップ | 夏時間が辛くなった »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿