Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

血となるワインの不思議

2018-07-06 | 文化一般
バイロイトのネット販売で遊んだ。一時間ほど試して、今度は「ローエングリン」は買えたが299ユーロと高過ぎた。指揮は分かっており、肝心の演出は放送を見てみないと分からない。その中でこの価格はもったいない。途中170ユーロというのが出たが、タッチの差で敗れた。これならば買っていた。その他で迷ったのは「パルシファル」のバルコンの一列目だ。155ユーロだから買っても良かったが、今年は既に二回も聞いていて、明らかに格落ちするような上演は座っているのも辛い。「トリスタン」も150ユーロは幾らでも入ったが、あの演出では腰が引けた。「マイスタージンガ―」は秋に耳直しが出来るので可能性はあったが、ジョルダン指揮ではブーイングするしかないので辞退した。

155ユーロを投資するなら、ペトレンコ指揮の公演で可成りいい席が買える。嘗てはバイロイトは安いと言われていたこともあったが、今は極端に高いと思う。公立でないから仕方がないのかもしれないが、芸術的な水準を考えると全く勘定に合わない。待ち時間は40分で、少し遅れるだけで何時間も待たなければいけなかった。中に居たのは券を確保していたので制限時間一杯で最初から70分後には全てが終わっていた。残り時間が短くなってもどうもぺイパルに入ってしまえば購入可能だったと思う。何時かの参考にしよう。今後これで買おうと思えばいくらでも買えることも分かった。昔のように十年に一回ではないから何時でも行ける事を確信した。ちっとも有り難くないと、その料金にも愚痴がこぼれるという事だ。

BRクラシックでのこの新制作主演交代劇に関しての初代音楽監督へのインタヴューがあった。それを取り上げて、昨年日本にも同行した、ミュンヘン国立劇場の宣伝部長が呟いていた。「ティーレマンの言いたいことは悉く分る」とその真意をその言葉を引用して注意喚起していた。本当にあの大蝦米のような連中をのさばらせていてはいけないと思う。先週もAfDの党大会に千人規模のカウンターが集結したというが、やはりこうした活動は必要だ。あんな低能の指揮者でもベルリンで支持する楽員が居たのかと思うと恐ろしい。そもそもメディアの中にも同じ類の馬鹿どもも少なくない。それ相当の票を得て、野党第一党なのである。

「三部作」一日目の券がまた出た。今度はまさに指揮者の後ろ二席とその他六枚出た。これも今後の参考になる。更に二つ目の二番目クラスも出ているので、一体どれぐらい残券があったのかと思う。

承前)さて愈々初日の新制作「パルシファル」三幕について纏めておく。最も反響の大きかったアンフォルタンスを初めて歌ったゲルハーハ―のインタヴューを聞いて、腑に落ちる話しが幾つかあった。今回の制作に係る重要な点を語っていた。

一つは、皆が諸手を挙げてゲルハーハ―を称賛していて、それが突出してしまって過剰だというのもあった。それに対する答えは楽譜にある。彼に言わせるとそもそもペトレンコ指揮でなければ承けなかった役なのだが、「タンホイザー」での経験から帰納するようにその繊細な音楽作りがあってこそでと、さもなくばこのアンフォルタンスのあまりにもの唐突の爆発や語るようにのリリックな歌唱の変化の激しさはとても表現不可だったという。つまりヘルデンテノールのように滔々と歌い続ける訳ではないが、それに対応するには管弦楽が「タンホイザー」のヴォルフラムに合わせたようでなければ不可能という。そこで、歌唱には付されていないダイナミックスを、総譜の管弦楽の音符表記のそれに合わせて歌うという必要が生じるとなる。まさにそれが遣り過ぎと評される歌唱でその演技だったとなる。演出に関してはストリーミングを経てもう一度触れたいが、少なくとも三幕の音楽も舞台も今まで我々が考えていたヴァークナーよりもヴァルディに近いもので、偶々偶然に「パルシファル」に続いて「オテロ」が新制作されると思うのは軽薄だろう。繰り返すことになるが、晩年に楽匠が行き着いた創造の域は枯れたなどとは程遠い。それはゲルハーハ―も初演指揮者レヴィの楽匠直々のアドヴァイスの記録について触れていたがまさしくペトレンコ指揮の何時もの公演のように再初演に近い成果だった ― クラウディオ・アバド指揮の「シモンボッカネグラ」辺りをイメージしてもそれほど的外れではない。

もう一つは、宗教としての芸術の問題で、キリスト教のミサにおけるのとは反対に、パンとワインが肉と血とならず、「血と肉がワインとパンとなる」ところを楽匠の無神論の姿勢と見ており、なるほどカトリック圏の少年合唱から出てきた人が語るところだ。ここから吸血鬼のキーワードとなるがこれは改めて触れよう。恐らく彼の感覚こそは、今回の新制作の本質に係るところで、「ザッハリッヒカイト」と私が指す音楽であり、もう一つ言えばどうしても「救済」されないもの、ゲルハーハ―に言わせるとまさしくその肉つまり「ヴォルフラムでは子孫も生まれない現実」乃ち「癒されない傷」となるのだろう。この「解決」が今回の音楽的な成果であって、そこにドラマが生じている。ここの響きと比べると、バーデンバーデンでのラトル指揮のそれがあまりにも耽美的で幸せ過ぎるとしか思えなくなる。

ゲルハーハ―は「グルマネンツの歌はオラトリオのエヴァンギリスト」という如く、アンフォルタスにドラマ的に絡むのがパルシファルだが ― これをして台本からそのものホモ関係だと想起するのがラディオの解説だった ―、ここでのカウフマンの歌唱も過小評価出来ない。傷と「タンホイザー」演出のヴァギナ、更に木の幹の演出への言及となる。これらは全てストリーミングで確かめるしかないが、そこまで評論で明白にされていなかったので若干演出の表現も細か過ぎたのかもしれない。

レヴィの言及をして、バイエルン放送局は残念ながらキリル・ペトレンコの証言は聞けないがとしているが、ペトレンコに関しては福音書で充分ではなかろうか。(続く)



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
先の準備を整える 2018-03-16 | 生活
ロメオ演出への文化的反照 2017-09-23 | 文化一般
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