Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

脚光度ピカイチの女性

2019-08-08 | 
放送局のサイトを覗いていると初夏に出たCD批評があった。昨年のフランクフルトでのオペレッタ「メリーウィドー」の生録音だった。六月に発売されていることは知っていたが、そもそもライヴ録音ものには興味が無いのですっかり忘れていた。しかし先月末になって、2021年からバイロイトの音楽祭に女性指揮者が登場と告げられて、一体誰かという話題になった。その多くはヴェテランの女性指揮者でハムブルクの音楽監督になっていた人を挙げる。経歴的には間違いが無い女性である。それどころかミュンヘンではキリル・ペトレンコの代わりにヴァークナーを指揮していて、地位としては全く文句の無い人選である。しかし、その指揮の刻むリズムやら、明らかに才能が無いのである。

次に挙がっているのが、フィンランドの指揮者で、こちらは昨年の同様の記者会見に同席していたという事で、予想されている。しかし肝心のヴァークナー指揮の経験が薄いという事で、一体何をしにそこに居たのか分からないというようにも書かれている。恐らく可能性は薄いだろう。

しかし話題性という事では上のオペレッタを客演指揮したヨアナ・マルヴィッツに勝る人は居ない。その名前からポーランド系だろうが、ここ一二年の脚光度はピカイチだった。このシーズンから、バイロイトに最も近い大都市ニュルンベルクの州立歌劇場の監督であり、人気地位共に急上昇の女性指揮者である。

昨年の公演を聞いた記憶では技術的には課題があるとは思われたが、今回編集した生録音の抜粋をYouTubeで聞くと、修正されてある事もあるが、記憶以上に素晴らしい。客演であり、フランクフルトの座付管弦楽団ではどうしても音楽表現が至らないところもあったが、二三回の収録で修正していったのが伺える。その後に生で聞いたのだが、その時は全てが上手く行かなかったのもこの程度の楽団の常としては当然だったかもしれない。音楽監督であれば人員も調整できるのだが、それは客演での制限あっての成果でしかなかったろう。

こうして録音を聞くと、最早バイロイト初の女性指揮者としての実力には疑いようがない。元祖音楽監督ティーレマンでは出来ないことが沢山出来るのは間違いない。ざっと才能の無いドイツ出身の男性の指揮者を見回しても中々これだけの指揮をする人は居ないので、脚光を浴びていたのは当然と言えるかもしれない。人事権は、その人達にあるので、バイロイトの件は憶測の域を出ないが、どちらにしてもこの人がその人達の人事権では左右されない立場になることは自明だ。
Die lustige Witwe, Act II: Nun lasst uns aber wie daheim (Live)

Elisabeth Schwarzkopf; "Es lebt' eine Villa"; Vilja-Lied; Die lustige Witwe; Franz Lehár

Die lustige Witwe: Act II: Es lebt eine Vilja, "Vilja Lied"

Anneliese Rothenberger; "Es lebt eine Vilja"; Vilja-Lied; Die lustige Witwe; Franz Lehár


YouTubeの連続演奏で殆ど聞けた。AMAZONでは19ユーロで出ている。二枚組でもう少し安くなってくれれば、記念に買っておいてもいいなと思うぐらいだ。ベルリンの放送局での評価も大変高い。但し、そこでも語られているように、演出のクラウス・グートの各人へのキャラクター付けなどが分からずに、音だけでは分からないところがあるとするのも正しい。残念ながら映像制作ではないので残念だが、映像であると今度は更に音の編集が大変になっただろう。
Franz Lehár: DIE LUSTIGE WITWE


この作品の名録音として、シュヴァルツコップの二度にわたる録音がレファレンスとして論じられていて、それとは異なるというマルリス・ペーターセンの歌も演出に依存する。しかし、その比較で聞くと、シュヴァルツコップの鼻へと抜けて殆どボカリーズになって仕舞う歌唱とは異なり歌詞が確りと出ていて、最近の歌手の例えば「最後の四つの歌」のディアナ・ダムローなどと同じで如何に技術的に優れているかが分かる。嘗てシュヴァルツコップやフィッシャーディースカウなどが教師として君臨していた時には、まさか今の様に現代的な歌唱技術を保持した歌手が出てくるとは全く想像もつかなかった。相手役のルーリ・サモイロフも大健闘していて、素晴らしい。

マルリス・ペーターセンは、月末の合唱交響曲、11月のコルンゴールト、来年4月のフィデリオと当分聞き続けることになる。2016年の新制作「ルル」時に殆ど卒倒してしまったようで、ペトレンコが「彼女の言うことはもう何でも聞く」と語っていたが、その音楽性は全く以ってキリル・ペトレンコが求めているそのものであって、フィデリオが特別難しい課題とされる意味も更に分かって来た。

しかし、彼女の話題を扱ったりフェースブックにリンクを張っただけぐらいの付き合いしかないのだが、なぜかオパーフェストの時に石階段下の暗闇で写真を写していて、視線を特別に貰ったのはなぜだったのだろう。SNSだけで特定されることは無いと思うのだが。



参照:
そのものと見かけの緊張 2018-06-19 | 女
真夏の朝の騒がしさ 2019-07-26 | アウトドーア・環境

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