Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

言及不必要な禁則など

2023-09-07 | 
承前)シェーンベルクの講演は面白い。具体的にはそこでブラームスらしい四分の三拍子からシンコペーションからの四分の四へと移っていることに言及しているのだ。余談ながらベーム博士が東京で指揮したブラームスは彼の地でのブラームス夜明けの様に評価されたのだがそこではまさしくこのシンコパーションと所謂ヘミオラとされる律動の変化のそれを体現させたことにあったとなる。

そして五度の反行も生じている。二音の動機が四音にされと変奏である。まさしくこれは分拍のルネッサンス期からあった音楽の技であるのだ。そこで既に先日言及した訓練された耳とそうでない者認知の違いが話されて、車のメカニックについて全く知識がなければ先ずそこから始めないといけないことと同じように記譜によってしか手易く説明できない部分があるとしている。

この件に関しては子供の反応についても注記した様に、シェ―ンベルクが考えるように音楽的な基礎教育が必要でもなく、数学的なパズル感覚が理解の基礎となる訳でもない。そこでシェーンベルクが語っているのは、基本となる音列は分かりやすく覚えやすくなければいけないとする変奏主題の基本的なキャラクターであり、勿論ここで12音を公平に使ったその作曲システムにおける禁則に言及する必要などはない。

そしてシェーンベルクはそれがナポリ六度の変ト長調にアシムメトリックなヘ長調となるとする下りになる様に響く。キリル・ペトレンコはこれに目を通している訳でが、そこ後半のベートーヴェンではヘ長調の終止で始まり、誤った調で第二主題が始まるとなる。既にツアーの表プログラムのレーガー作品に関しては既に言及済みであるが、これは11月にまた改めてとなる。

さて、シェーンベルクの「管弦楽の為の変奏曲」の核心に迫る。ルツェルンから戻って来て、第五変奏以降の音響に注目したいと書いた。改めて講演内容を読んでみると、そこから通常の変奏ではなく取り分け難しくなることはなされていて、他の資料によるとそこで未完の「モーゼとアロン」の創作に入っていたとされる。

まさしく個人的にもシェーンベルクの創作に求めている、創作者自身の言葉では「理解されなくとも信じるべき力を、それは語れるものでも思い付きでもなくて、そうしたものを知らない限りは作曲しなかったものだ。」となる。言い換えるとシェーンベルクの創作のそしてその存在の本質である。

具体的には半音下降の動機がヴァイオリンで奏されて、それは第八変奏の「黄金の牛の踊り」と同様に「モーゼとアローン」の砂漠の場などを思い浮かべさせる。溜息の動機を思い起こすかどうかは別にして、それが音楽表現されるというのが指揮者ペトレンコの強い意志だったことは分かる。それは次に1月に演奏する「ヤコブスの梯子」への下準備となっていた。

今回こうした創作の裏事情を知ると同時にペトレンコが特に最終日で楽員にやらせていたことこそが所謂Aha効果となっていて、奏者自らが次へと進める教育効果となっていて、同時に聴衆も多くを気付く。(続く)



参照:
音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
旅絵日記週末編 2023-09-04 | 文化一般

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