Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ああ無常の心の距離感

2020-08-04 | 
日曜日のザルツブルクからの中継はセンセーショナルだった。まだ批評は出揃ってはいないが、コロナによって急遽企画されて情景に適うように企画された新制作「コジファンテュッテ」のネットのみでの生中継だった。最初から独仏共同局arteが生中継を行いそのテロップがバイヤー監督制作映像となれば期待が膨らんだ。

先ずは公演前録画の指揮者ヨアンナ・マルヴィッツと演出クリストフ・ロイ揃ってのインタヴューがあって、休憩無しに終えるための削除などの作業についての話しがあり、マルヴィッツがザルツブルク史上女性初のオペラ指揮者であることの意味への質問に「初めてというのが驚くぐらいで、男でも女でも全く関係無い」と言い放ったのはとても歯切れが良かった。まだ発表されていないが、マルヴィッツ以外にはバイロイト初の女性指揮者はいないと信じる者にとっては当然の反応だった。

いづれにしても二回ほどのフランクフルトでの指揮を観聴きして少なくとも劇場指揮者としてはマルヴィッツ以前にはこの程度の女流指揮者はいなかったと感じた。だからある程度事情通としては、コロナ以前の元々の「魔笛」でのデビューも決してしくじることはなく、縮小されたプログラムでも出てくるとは思っていた。しかし思いがけずにオペラブッファとなってどのような指揮をするのかあまり想像がつかなかった。

そして、登場して態々エルボーバムプをしているのを見て、中々の余裕の表情を見せていたので驚いていたが、想定以上に序曲から明確なアクセントをつけて来て、更に企画からかピアノをレチタティ―ヴォ伴奏に入れるように編成も大劇場に合わせて比較的大きいのに拘わらずの軽妙さと新鮮さは久しく聴くことが無かったものだ。多くの人が1970年のカール・ベーム博士の歴史的な演奏を思い浮かべたようでその演奏時間差が語られている。今回の短縮で六曲が削減されたのにも拘らず2時間17分、ベーム指揮28分より少し短いだけだった。

小劇場の方ではツァグロセク指揮でも同曲を体験したが、到底今回の演奏に比較出来るものでもなかった。今回のその音楽的な成果はヴィーナーフィルハーモニカーにここまで立派なモーツァルトを奏させた事にもあるが、そもそもマルヴィッツも今までの経歴からしてもこんなに上等の管弦楽団を振ったのは初めてだと思う。アーティキュレションも明晰にこんなに精緻な音楽を殆どウェットを交えながらの=表情豊かに振れたのだと思った。そしてアーノンクール時代を通じてこの座付管弦楽団はこのような演奏は出来ていなかった。

総じて今回の企画の「若い風を吹かせる」コンセプトは大成功したと思う。歌手陣も素晴らしく、特にベルリンで人気のフランコデンマーク人の二十代のエルサ・ドライシークは理想のフィデオリージとされて最大の発見とされている。そしてロイの演出もとても良かった。ドンアルフォンソを歌ったフランクフルトのクレンツレはよく分かっていると語っていたが、なるほどフランクフルトの市立劇場に似合いそうなミニマリストの演出だ。しかし何といってもマルヴィッツの指揮は、素肌感覚のセンシティーヴなモーツァルトの音楽を引き出していて、内田光子のそれに通じるようなとても細やかな心の綾を描いていた。まさしくこれがベーム博士のそれを乗り越えているモーツァルトの演奏実践で天晴れというしかない。まさか生放送でこのような稀有なモーツァルト体験が叶うとは思ってもいなかった。

舞台上で繰り広げられる劇が馬鹿しい人形劇のような登場人物のロールプレーに終わらず、そのソーシャルディスタンシングな関係性を普遍的で且つとてもセンシティーヴな心の綾を伝える舞台としたとても稀な例だったと思う。ザルツブルク音楽祭百周年にしてエポックメーキングな公演だった。

期待した通りその映像のカメラワークと半数の空席のある大劇場の残響感が飛翔の空間を再生していて、これまた見事だった。公演後の舞台の表裏では成功の歓喜に沸き返っていたというが、ライヴでも同じように響いたものと想像する。放送の方では早めに切って、9歳から指揮者と幼馴染のピアニストのレヴィットが出て来て祝福と同時に自身のリサイタルとその放送の前宣をしていた。



参照:
へそ出しもビキニも 2020-08-03 | 女
二本立ての一本目 2019-12-17 | 女

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