Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

権威の向こう側

2018-06-14 | 文化一般
「メリーウィドー」をざっと観た。予想以上に出来が良かった。ストーリーは、藤山寛美の松竹新喜劇と大差はないのだが、流石にレハールの狙いは決まっている。今で言うとヒット曲メーカーのような渾身の主題と、それを上手く使って全曲を構成している。シュトラウスファミリーのあとの世代としても、やはりその音楽的な力は大分異なる。

参考に通したのは、先ごろ日本で話題となった、ヴェリサー・メスト指揮の2004年チューリッヒ公演らしい。音楽的には、主役ペアーも脇もそれなりで、この辺りの出し物としては充分なのだろう。主役に関してはフランクフルトの公演に期待している。演出はオーソドックスというか、公演の大落ちは、狂言回しの親仁がピットに入り指揮棒を持って答礼に出たメストに踊らせるというものだ。あの面白味の無いメストに踊らせるのが味噌なのだろうが、やはり舞台裏落ちになっているには違いない。そもそもこの手の音楽劇場はレヴューとの境が無いので、態々そうしなければいけなかったことが関心ごとなのだ。その光景を見ると、先日ヴィーンからの報告でその指揮姿から「マリオネット」と称されたように足をしっかりと固定してその両手を前上方で上下させるのを思い出して吹き出してしまった。それにしてもラインダンスになると、見事に足が高く上がっていて、余計に異質感を与えるのがこの人のキャラクターだ。彼のドナウ訛りをしっかり理解していてもこうだから、あの人が指揮台で英語でおかしなことを話していると違和感しか感じない人も多いと思う。同じように見ものだったのは先にも「大蝦米」と紹介したティーレマンの指揮姿であるが、これもシュトラウスファミリーのニューイヤーコンサートを来年飾ってくれる。今から腹を抱えての初笑いが待ち遠しい。
Franz Lehár -"Die lustige Witwe" /The Merry Widow

両陛下がクラシックを鑑賞 立ち上がって拍手も(18/06/02)

Very funny marionette street performer


Renée Fleming - Vilja-Lied - Die lustige Witwe

Street Performance | Mr. Bean Official



そこで思い出したのが初めて座るロージェの「プロシェニウム」自体が舞台の枠組みのことを指すので、劇場空間の舞台とこちら側を分かつ形式としても存在する。上の舞台を奈落まで繋げることで丁度その緩衝空間の境界を脅かすことになる。

SWR2で「独裁と謙虚の間で ― 音楽における権威」と題して、指揮者の其々をアルブレヒト・マイヤーなどを含む楽士さん達にインタヴューを録った番組が流された。先ずはペトレンコに関するところをつまみ聞きした。第二フルートを吹いているハンガリー生まれのアンドレア・イッカー女史が語る。三代の音楽監督に仕えて、ご本人は翻訳家としても活躍していることから、その音楽的な創造性が刺激されないような指揮者の下で廃業寸前になっていたのだという。それがペトレンコが現われて、レパートリーを始めからやり直したという。三回やっても容易に追いつかないようなアイデアが出されて、それを成し遂げる喜びとまたさらなる一歩から積み上げていくペトレンコとの仕事へと駆り立てられることを語る。オペラ指揮者というのは、そもそもコンサート指揮者とは違って舞台とのコーディネーションが必要なので大変なのだが、それを成し遂げるだけでも大変なのに、安定したその演奏実践と演奏に拠っての喜びという事を成し遂げているというのだ。だから、それがあり得るというのならば、「彼の指揮技術や身体の動きは、彼を世紀の指揮者にしている」と断言する。
Meet the Musicians #11: Andrea Ikker (flute)


この話題で付け加えておきたいのは、フィラデルフィアの演奏旅行で見せたネゼセガンがどうも同じ飛行機に乗って旅行していたことだ。これは指揮者としてかなり楽員と危険な関係にあるようにも思え、指揮者の権威がどのようなものであるかに関して、番組の冒頭であった話が浮かぶ。シュトュツガルトからチェリビダッケに付いてミュンヘンで第一ホルンを吹いていた楽員は、「指揮者が幾ら虚勢を張っても駄目なんだ、音楽家なんて普通ではなくてそういう事には感性の強い集団だからね」とご尤もなことを語っている。その意味では若い楽員たちとそのような付き合いが出来ることは若さなのかもしれないが、どこかで事情は変わってくるのではなかろうか。

この番組は一時間もので最後にパーヴォ・ヤルヴィが登場する。ブレーメンでのそれこそ室内管弦楽団との関係なのだが、そこからこの指揮者の本質的な可能性が述べられているかどうかは通して聞いてみて触れてみたい。そして明日は夕方の討論会で、ラトルのあとを観て、「大指揮者の意味」が話される。あのおばさんが一体なにを語るかが注目される。



参照:
業界のダークホース 2018-05-16 | 雑感
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
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