Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ふらふらする冬時間始まり

2017-10-29 | 
ルクセムブルクから帰ってきた。思ったよりもトリアーから車で結構な距離があった。だから二時間では無理で二時間二十分ほど掛かる。但し今回は折からの工事などもあって短いコース取りをしたので片道200㎞に至らなかった。要するに燃料を節約できる。フライブルクに行くのと同じぐらいの感じである。

ネットで調べておいた通りに車を走らせると、左側に貝殻のような建物が見えたので、見当をつけて地下駐車場に車を入れた。生憎それは裏側の共同駐車場だったので一度外に出なければ行けなかったが、駐車料などは比較的割安だった。

一時間ほど早く着いたので会場の周りの美術館の周りを見たり、フィルハーモニーを一周して写真を撮ったりした。目抜きのケネディー通りは街に入るまでは大学や郊外型のショッピングセンターなどがあって、丁度ミュンヘンの新しいホールの界隈のような感じで、殆ど工事中でベルリンか東ドイツのような感じがした。正直金があるのかどうか分からない。

それでも国境を越えてからあまり整備されていない高速道路を随分走ったので、ドイツで例えれば丁度選帝侯の領地ぐらいの大きさだろうか。思ったよりも広いと感じたが、思ったよりも人は少ない感じがした。

大ホールも1300席で丁度中ホールと小ホールを足したぐらいの規模である。ヴィ―スバーデンのクアハウスの大ホールも同じぐらいである。ルートヴィヒスブルクにあるフォールムの大ホールに匹敵する。そこで聞いたサイモン・ラトル指揮バーミンガムの交響楽団のマーラー作曲交響曲10番が今まで一番小さいところで聞いた大管弦楽団だった。同じ大きさのヴィ―スバーデンのクアーハウスでは、ベルリンの放送交響楽団をアシュケナージが振ったショスタコーヴィッチ作曲交響曲4番であろうか。

それらに比較すると、今回は楽器編成も異なったが、アコースティックは前者よりも遥かに明瞭で、後者よりも残響も美しく癖がなかった。シナ人徐教授の音響設計のようだが、少なくともその容量からしてこの程度の編成ではベストではないかと思った。

そこで聞けたものに関しては改めて纏めるとしても、これだけは予め言及しておかないといけないのは、聴衆の質だ。今まで経験した中でも最低クラスだったと思う。何も出入りがあったり飴玉の包装紙の音があったりとかいうよりも、その程度が悪かったという印象だ。それはこうした小公国では人材がいないということで仕方がないのかもしれないが、なるほど今回の作品とその上演からして通向きだということはあっても、その反応の鈍さは致し方がなかった。サクラも入っていないのかもしれないが、もう少し耳のある人が多くてもよいと思った。少なくともその点からやはりももう少し近くのシュトッツガルトやフランクフルトもしくはケルンなどで同じプログラムが演奏されていたならと思わないでもなかった。

兎に角二日続けて音楽会に行くと疲労困憊する。運転距離は350㎞ほどだったのでミュンヘンへの片道ぐらいなのだが、コンサートは疲れるのに二日も続けて更に当日まで予習のお勉強をするような塩梅で厳しかった。夏時間が終わって初日はまだまだ頭がふらふらしていて眠い。



参照:
なんと、やはり生演奏会 2017-10-28 | 文化一般
広がるリビングからの視界 2017-10-25 | 生活
ジャンル:
文化
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