Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ルツェルンでの視界

2019-09-04 | アウトドーア・環境
涼しくなってジーンズを履いていたが、また脱いだ。明日からは冷えるので再び厚着になる。マンハイムに行って結局往復100㎞走った。理由はラインに掛かる橋の二つの一つが一方閉鎖されていて、混雑して遠回りをしたからだ。次の橋はアウトバーン六号だがそこへのアプローチも街の中を長く走るのでラッシュアワー時には混む。そこで次の橋を目指した。実際にはスパイーヤに抜ける橋なのだが、これも閉鎖されていたようで、一番手っ取り早くホッケンハイムリンクがあるところまでアウトバーンで南下してスパイヤーの所で別の橋を渡って戻って来た。それでもホッケンハイムの所で渋滞していた。更に南のカールツルーへも工事中で週末は完全に閉鎖される。州が違う以上に橋を壊してしまうと直ぐに第一次世界大戦後のようにフランスに帰属してしまう。若しくはバイエルン王国の飛び地になって仕舞う。これだけ自然境界がハッキリしていれば食文化も言葉も全く異なってもおかしくはない。

先週のルツェルンの話しで書き忘れていたことがあった。中継ラディオで、指揮者ヒュルサのインタヴューから、会場の音響についての事だ。兎に角素晴らしい音響という事だが、具体的には舞台の上でも会場でも同じように響くという。舞台は立ったことが無いので分からないがマイクで捉えている音はあの残響の感じと透明感なので差がないものと思う。そして色彩も手伝って明るいのもよいとしている。指揮者自身古いホールが好きだというので、つまりシューボックス型と言う意味になるが、やはり近代的なホールは異なるとしていて、勿論その長所を評価している。つまり彼の言う通り欧州で相当するホールは二つしか存在しない。

今回初めて2.Balkonのそれも四列目だったが与えられたのだが、一年前のランク下の3.Balkonよりは間違いなく良かった。ゲヴァントハウス管弦楽団はその3.Balkonの二列目だったので、昨年の四列目の視界に入る庇は全くなかったが、音響は殆ど変わらなかった。なるほど最前列とかは視界も効いて、より本天井からの跳ね返りもあるだろうが、少なくとも2.Balkonで確認した残響はそこでは確認できなかった。来週の月曜日は1.Balkonのサイドに座るので、これで大体ホールの一通りの特徴が分かるようになると思う。

少なくとも大編成の場合は平土間で視界が良く効くところは限られそうで、それは態々見に行った時に戸口のおばさんにまで「大編成では前の方はあんまりよくないわよ、そりゃーバルコンの方がいいわよ」と言われてしまった。その通り、視界の効き方は多くのことを語っているので、同様の意味から1.Balkonは若干俯瞰し難い角度になる。勿論月曜日と同じように最前列は悪くはないだろうが、最高級価格になって、その価値が保証されるのは当然でしかない。大阪人の言う、高くて旨いのは当たり前なのだ。来年以降のことは月曜日以後に考えるが、少なくとも価格比からすれば今年割り与えられた座席には満足している。駐車場の4時間超えての15フランもミュンヘンの事を考えれば半額だ。

昨年と異なって三泊しただけで、昼間の室内楽と友人の前座コンサートに出かけ、結構盛り沢山となっていた。アカデミー講師やレジデンス作曲家など仲間が多かったのも良かった。もう一泊位しても良いぐらいかなと思うが、来年の日程が決まらないと何とも言えない。同じ宿が取れれば文句なしで、やはり重要である。

やはり通わないと分からないものも少なくなく。ミュンヘンでも同じであるがこちらの要領も良くなり、無駄も減り、都合よく物事を進められるのが良い。ザルツブルクも一時同じように通っていたのだが、そこまでは中々居心地が良くならなかったのはネットで手頃な宿が簡単に見つけられなかったことが大きいかもしれない。

今晩はエネスコフェスティヴァルからの中継があるので楽しみだ。ミュンヘンの後任音楽監督ユロスキー指揮「影の無い女」を先日のベルリンに続いて演奏会形式で演奏する。この曲で少なくともリヒャルト・シュトラウスのその指揮振りを窺え、更にオペラでの指揮をある程度想像できるかもしれない。



参照:
歴史的独楽器配置の箱 2018-09-05 | 文化一般
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
ルツェルンの最初の夜 2019-08-27 | 暦
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