Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

平和と強く鋭く叫ぶ精

2019-05-28 | マスメディア批評
フォア―アールベルクからの放送に感動した。大抵は、生で体験したものを放送で聴いてもなにか欠けている感じがして、少なくとも時間経過しない限り素晴らしいとは思わない。後に聴くと感動が蘇るという追体験でしかない。しかし、これは図星、私がブレゲンツの祝祭劇場で18日に聴いたそのものだった。まだ流してしかおらず、細かなところをチェックした訳ではないが、再確認したものが改めて感動を呼ぶというものだった。

なにが素晴らしいか、既に書いた通りでしかないが、その指揮のテムピの変化と緊張と緩和は神業だ。作曲家自身の指揮では恐らくこうはいかなかったと思う。恐らくグスタフ・マーラーは指揮という職業で歴史的に指折りの才人だった想像するが、自作自演のロールピアノの演奏を思い出しても、キリル・ペトレンコのようなことは出来ていなかった思う。

第一部の展開部の動機群が知っている第二部のそれと呼応して聴こえ出すと、もはやなす術がない絶対的な説得感へと引き込まれる。言葉を変えると、深層心理への直接への働掛けとなるのだろうが、それがドッペルフーゲでの呼びかけとなり、hostem、pacemと動機が鋭く叫ばれると、二月に「ミサソレムニス」を聴いてきた者には、一挙にその歴史の奔流にすくわれることになる。

なるほど器楽的にも、ミュンヘンではここは、ベルリンではと思うところも無くは無いのだが、こうして録音でもその空気感が伝わる。先ず最初からあれほど長く拍手していたのにも拘わらず、ペトレンコが出てくると一段と握手が強くなっている。そのとき思ったのは、これは前々日の演奏もそこそこ上手く行っていたのだなという街の空気感であった。

そして放送で初めて確信したのは、第一部の後の握手の可能性に関してである。昨今のトレンドからすれば、どちらでもありかなと思ったが、無くてよかったと確信した。理由は明快で、あそこで空気抜きしてしまっていたら、終演後の本当のスタンディングオヴェーションは無かった。それ「もどき」で終わっていた。あのフィナーレの胸が破裂しそうになる感覚はまさに聖霊のなせる業で、それが第二部へと繋がる。大きなアーチ構造となっているとすれば、当然拍手による発散はその効果を壊していた。

そうしてこうやって前半だけでも聴くと、2021年のベルリンでのオープニングはこれしかないのではないかと思うぐらいだ。そして中継で面白いことが語られていた。あのペトレンコが指揮台で演説して、「今日、皆さんが歴史の一ページを書き加えることになります」と、フォア―アールベルクでの初演に言及したという。

そして一時間の放送枠の余白に2008年の「子供の角笛」が放送された。管弦楽団の公式CDが流されるかと思っていたがこれはとても気が利いていた。ミュンヘンでは日本帰りで同じ曲が演奏されて、態々出かけた。ゲルネの歌に合わせて全く異なるものだったが、その相違も興味深い。直にオンデマンド化されるだろう。



参照:
沸々と、ああ諸行無常 2019-05-25 | 音
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
コメント