Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

約束される偉大なもの

2019-05-27 | マスメディア批評
ヴィーンからの生中継を見た。オペラ劇場前でのオープンエアー中継である。この手のものは興味が無いが百五十周年記念で出ている歌手があまりに大物だったので観た。中々苦労して劇場の屋上や向かい側の建物などを使っていたが、効果はそれ程ではなかった。しかし中継のために空中ケーブルにカメラを走らせたりと金は掛かっていた。

一番印象に残ったのはやはりニナ・ステムメの存在感や妊婦ヨンチェヴァのおなかだったり、アラーニャ夫婦の熱い口づけのバカらしい姿だったりした。エンタメとしては充分満足だった。

バーデンバーデンからマガジンが届いていた。復活祭の写真などが沢山載っていた。目を引いたのは、2019年4月15日19時22分の写真である。一回目のチャイコフスキー交響曲5番のニ楽章のドールの吹くホルンへの言及となっている。通は二楽章の多彩なニュアンスに言及するかもしれないが、ペトレンコが演奏後に一人立たせたように、この日の二楽章は今回の復活祭の音楽的な一つの頂点だっただろう。

「チャイコフスキーの第五交響曲はスタンダードレパートリーとして数えられるものである。カラヤン以後のベルリナーフィルハーモニカーの指揮者はこの作品で以って勝負するものでもあった。まるで、全力を掛けないといけないかのようにみえて、ペトレンコはこのチャイコフスキー五番で大当たりとした。このロシアの作曲家への決心は、聴衆においてのみならず彼の楽師さんにおいても大歓迎を射止めた。あの緩叙楽章のあの有名なホルンソロの優しくセンシティーヴに回りを漂うのを聴いただろうか?二つがそこにあった。指揮者と管弦楽団が期待一杯に眼差しを先に向ける ― 偉大なものが約束されるところに、勿論、来るバーデンバーデンの復活祭における協調の『フィデリオ』がそこにある。」 

二回目のつまりベルリンから数えて五回目の演奏は、一楽章に於いては可成り完成に近づいていたが、この二楽章のドールは力が入り過ぎていた。三楽章はどちらも完成に近かった。夏に演奏される三回で何とか終楽章の息つけぬアチェランドの失神脱力感にまで至って欲しい。メストがいくら清潔にクリーヴランドを演奏させても、ネルソンズが幾ら手練手管でも臨んでも到達できない次元なのである。

さて今晩はマーラーの交響曲八番の放送である。二回あった本番の後の方が放送されると確信する。なぜならば誰かのヴィデオを観ていると、終演後の盛り上がり方が大分異なっていた。スタンディングオヴェーションが通常な感じのそれだったからだ。一か所だけ電話の音が入っているのか、それとも編集しているのか?分割放送一回目で第二部のそこまでは流れないだろう。



参照:
芸術の多彩なニュアンス 2019-04-15 | 文化一般
空騒ぎの二重の意味 2019-04-23 | 文化一般
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