Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

野放図なモンタージュ

2019-05-06 | マスメディア批評
由井小雪こと指揮者ウラディミール・ユロウスキー関連で父親のミヒャエルが話題となっていた ― スタニスラフ劇場で指揮、またマクベス夫人組曲を編曲。アメリカデビューらしい。それもクリーヴランド管弦楽団でとなっている。ベルリンに移住してからはロシアものの専門家としての評判もあったようだが殆ど知ることは無かった。ミヒャエルの親父さんが作曲家であったことから、クリスマス生まれの彼の誕生日には芸術家たちが集まって、その中心にいたという。だから後年作曲家のショスタコーヴィッチに合ったときに、作曲家の方が先に指揮者のことを知っていたという。

そうした環境に育ちながらも音楽家としての仕事につくときにはユダヤ人としての不公平を感じたので、早くから東ドイツで指揮をして、後に西ベルリンへと移ったとある。だからロジェストヴィンスキーのアシスタントであったロシアの指揮者では無くドイツの指揮者ということらしい。どこにでもいるような劇場指揮者の一人だったのかもしれないが少なくとも南ドイツではあまり名前を聞くことは無かった。

それゆえに、息子さんが特にミュンヘンの後任と決まってからの仕事のオファーが増えているようで、知らないうちに息子さんが指揮した新制作の再演も振っていた。苗字が同じだから息子さんと間違えて入場した人も少なくなかったに違いない。

フランクフルターアルゲマイネ新聞の文化欄のトップにCD商品の紹介が載っている。私が知る限り一面にメディア紹介が載るのは初めてだ。フルトヴェングラーの戦時中の録音を集めた22枚組SACDの紹介であるが、書き手の名前は知らない。情報として、ここに収録されているのはベルリンでの21回に亘るコンサートの記録で、旧フィルハーモニーでの録音が殆で、最初の二つの古い録音はシャルプラッテ録音で、1942年以降の磁気テープ録音と一つの光学録音が全ての様だ。五割以上が元来の装置で再生された録音テープからのマスターとなる。

ただ最終的には雑音を切ることで、なにも場内が集中して聞いていた訳でも無いのに、記録原音再生と言えるかどうかなど美学的な議論の余地は当然残している。殆ど模範的なエディションとしても、既出の録音であったことは間違いないとしている。「間違いなく魅力的な商品」と結ばれているが、長々と書かれていることは必ずしも購買意欲をそそるものではなかった。また184ページに及ぶブックレットに関しても録音に関する情報が足りないなどの指摘がある。特に我々のようなフルトヴェングラーファンにとっては収集癖が昂じない限りどうしてもという気にはならない。そもそも価格が高過ぎて、新品で20ユーロ台になるのを待ちたいと思う。

昨夜のロンドンからの中継中にジョン・アダムスの曲演奏への批判を呟いたが、土曜日の新聞にミュンヘンへの出張で同じ曲をサイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団が演奏していたことが書いてあった。ムジカヴィーヴァは地元放送局の現代音楽シリーズであるが、そこに出演して満員にするどころか、マルクス大司教、元メルケル首相の外交担当のベルリンのロバート・レッドフォードと呼ばれたBR放送支配人、その他作曲家などが集い、多くの学生を交えて全ての層が集う音楽イヴェントだったようだ。アダムスのモットーとするコモンセンスであろうか。同じジーメンスの企画でルツェルンでも催されるが、そちらはそこまで券が売れていない。プログラムは異なり、最も批評されるところは正しくアメリカのアダムスの創作態度である。学生の一団から楽章間に既に歓声が上がったようで、ロンドンのそれの様子と変わらない。要するにポップス愛好家などを魅了するものがあるということになる。

英国のブリストルやタナジとの断裂は、その野放図なモンタージュの語法にあるとしていて、摘み食いした過去の名曲のその価値と言うのはただのその運動性にあって、まるで近代都市のランドスケープの様だとしている。そして最後に私と同じく、「ラトルの理想」への揶揄も書き加えられていて、"Rythm is it"の映画以外の何ものでもなく、乗せられているのは観客同様に管弦楽もだったとしている。



参照:
Dass dem Ohr kein leiser Laut entflieht, Jan Brachmann, FAZ vom 4.5.2019
野放図なモンタージュ 2019-05-05 | 試飲百景
デジタル演奏会の品定め 2016-09-21 | マスメディア批評

コメント