Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「ベルリンの笛吹き男」

2018-04-24 | マスメディア批評
フィラデルフィアからの放送を聞いた。期待していたが残念ながらその指揮者のファンには嫌なことを書くしかない。前半は古い自作のフィラデルフィア初演だったので、カール・サンドバークの詩に基づいて作曲されて、それに続いて演奏されており、楽曲としてはその時代や場所を考えるとそれほど悪くはないものと感じた。要するにこのティルソン・トーマスという人は、作曲家や指揮者であるよりも文化人であるのだと分かった。

それは休憩後の悲愴交響曲の展開部に入るまでにはっきりとした。なによりも指揮者として拍をしっかりと刻むことが出来ないようだった。要するに指揮者として明らかに二流で、なるほど欧州では殆どお座敷が掛からない理由が分かった。それでも世界の頂点にある楽団が出す展開部の音に楽譜を捲りながら耳を傾けた。やはり盆暗指揮者だとどんな管弦楽団が演奏しても駄目だと分かった。結局個別のバス―ン奏者ダニエル・マツカワなどの一節が注目されるだけだった。逆にまだまだとは思っていながらも、ペトレンコ指揮のフィルハーモニカーの響きを思い出して戦慄した。

特に指揮の世界ではここ二十年ほどの若手の趨勢は著しいものがあって、私などは指揮の技術などにはそれほど関心が無かったのだが、もはや業界ではその域に達していない指揮者は相手にされない。その意味からも現在日本の管弦楽団を指揮している人物ではパーヴォ・ヤルヴィぐらいしかその域に達している指揮者はいないのであろう。個人的にはあまり評価していないが、日曜日に放送された「ドイツェレクイエム」も評判が良かったようで、チューリッヒのトーンハレでの就任などいよいよ一流領域でのポストに就いて来ていて注目されている。ベルリナーフィルハーモニカーとの演奏旅行も当然なのかもしれない。次の日本公演はこの指揮者が帯同か?

ベルリナーフィルハーモニカーでのプログラミングで様々な記事が出ていて、自分自身4月13日のヴィデオもまだ落としていないので、プロコフィエフ以外の「演奏会評」は書けていないが、ドイツ放送ラディオでの注釈がなかなか面白かった。それは「キリル・ペトレンコがハ長調に拘っている」というプログラミングへのコメントで、フィルハーモニーでペトレンコ指揮で演奏された多くの曲がこの調性の響きで書かれている。それをしてペトレンコの音楽的な趣向だというのだが、その結論はあまりに短絡的だ。私などはこの天才指揮者の音楽を理解するために彼の考えそうなことをいつも想像しているのだが、するとそれは「教育的な配慮」となる。

まさか十分な教育を受けた楽士さんたちに変化記号の無い楽譜でおさらいして貰おうという訳ではないだろうが、彼がそのスクリャビンを指揮する際にインタヴューで語っていたことを思い出す。当時ペトレンコは同曲でシュターツカペレドレスデンなどを客演して回っていたので、「フィルハーモニカーでどのように響くか楽しみだ」と語っていた。つまり楽団固有の響きと楽曲の関係に興味を持っているのだ。そこからすればハ長調で以ってフィルハーモニカーの独自の響きへの認識と練磨への暗示になっているとしか考えられない。正しくピエール・ブレーズがこの楽団の最大の特徴で強みだとしたことに相当していて、どの方向に楽団が向かうべきかを示唆している。

この推測は当たらずとも遠からずだと思うが、音楽ジャーナリズム挙って「一体キリル・ペトレンコは我々を何処に導いていくのだ」とまるで「ハーメルンの笛吹」のように不安がっているのだが、ジャーナリズムの仕事として一つ一つの現象を丁寧に客観的に整理して提示して行くことしかないのである。それは一夜の演奏会においても一曲の演奏にしても全く同じことでしかない。ジャーナリストはジャーナリズムに徹するべきだという事を改めて明記しておきたい。



参照:
解像度が高まると 2018-04-14 | 音
ナインのはそこやで~ 2018-04-10 | 文化一般
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