Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

神無しに美は存在しない

2017-12-06 | 文学・思想
承前)伝道者ブロムシュテットの第四回目のお話しだ。四楽章がシンメトリーの中間にあたってとても重要で、いつものように全く素晴らしいテクストだと始まる。そしてこの詩編84のダヴィデの置かれていた状況を端緒とする。

1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください。
4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。

息子のソロモンによって追われて難民となったダヴィデは、エルサレムを想うのだが、そこには戻れない。息子が統治しているからである。「あなたのお住まい」というのだが、そんな神殿などはどこにもない、それどころかテント生活をしているのである。一方息子はその後に立派な神殿を建てたというのだが、しかし彼はそこに神の存在を身近に感じている。象徴的なことなのだが、それはただの美しさではない。

ルターのドイツ語訳の美しさを語る。Wie lieblich sindの母音の響き、Seele verlangt und sehnt sichのsの響き。そして「前庭」とのまさしく神殿への印象を夢見ながら、身近に感じる生き生きとした神こそが喜ばしいのであって、そのような岩石などの建造物では決してないのだ。

そしてブラームスの音化について触れていく。「先ずは美しい音色を聴いて貰ってから話を続けましょう」と四楽章の一回目の放映がされる。

音楽が終わって、先ずは放送局のメディア提供に謝辞を述べてから、「ただ簡単な歌に聞こえるのだが」と前置きして、芸術音楽として詳しく見ていく。これまた山なりの旋律線でと歌い始めて、「ツェバオート」が二回繰り返されるところにやってくる。ツェバオート自体がその大きな存在を意味するだけなのだが、言語での二回繰り返しと音楽は異なって、その繰り返しに意味を持たせることが可能となる。そもそもWie lieblichのテノールは、一拍目から二拍目とスラーが伸ばすように掛けられているように、変化されて歌われており、「もしこれを牧師がそのように伸ばして説教したらおかしんじゃないかと思われるのだが、こうした可能性の組み合わせが音楽表現なのだ」と。

更に良く聞けば、弦楽器が弓で擦るだけでなく、ピチカートで弾いているのは、間違いなくダヴィデの持っていた単純な5弦のハープに違いない。そして「この響きはブラームスらしくなくてダヴィデでしょう」と語る。

そして憧憬へのところの繰り返しつつの高揚が、ハーモニーに伴われての素晴らしい音化になっていて、そして心身共の喜びに至り、活動的になって、そして静まる。ソプラノが「フロイデ」と長く伸ばすと、他の声部はそこに掛け合うように輪が広がっていく。まさに天使が呼応するかのような情景だ。そしてまるで身体に感じるかのような喜びで楽章を閉じる。

「こうした表現し尽くしがたい音楽というものにどうしても神の存在を感じるのではなかろうか?、朽ち行く人類にこうした創造が可能なのか」、同僚のハーノンクールが語ったように、「音楽とは神と臍を繋ぐ緒」だと。

たいへんに高名な神学者がコンサートの後に訪れた時のことだ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲とシベリウスの交響曲で宗教的な作品ではなかったのだが、「三十年この方、これほど神を身近に感じたことがなかった」とその神学者が語ったという。また有名な神学者と待降節の集まりで知り合い、本人は全くクラシックには興味が無くてロックファンということだったのだが、伝手で訪れたコンサートでリヒャルト・シュトラウスの交響詩とベートーヴェンの協奏曲などを聞いた。その後病気で入院していた時にベットでヘッドフォンのラディオから流れるべート―ヴェンやブラームスを聞き出して、「今まで聞いていたものはあまりにも日常的で無意味だった、ブラームスなどは神の存在無しにはあり得ない。」と論文を新聞に投稿した。

「こうして宗教的なテキストに作曲された創作があることがとても有り難く、美というのは神の意匠であり、神とは創造主であり、これは再び六楽章で触れますが、「神無しには美は存在しない。こうした気持ちは、例えば美しい自然に感じるときも、例えば美しいアルプスの峰を眺め、美しい音楽を聴き、または美しい絵画を見るときでも同じでしょう。」

神学者パウル・ティリッヒの第一次世界大戦での壮絶な経験をして、「そこの野戦図書館で簡単な本にボッティチェッリなどの挿絵を見て、ベルリンに戻ってきて直ぐに美術館に駆け込んでの絵画がとても重要な神的な体験になった」、それは、聖書ではなく、音楽でもある。



参照:
Wie lieblich sind deine Wohnungen (HappyChannel)
アインドィツェスレクイエム 2017-11-13 | 文化一般
土人に人気の卒寿指揮者 2017-11-07 | 歴史・時事
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