Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

腰痛日誌四日目、回復

2017-01-10 | 雑感
徐々に回復に向かいつつある。寝床での苦痛は無くなった。ベットから起き上がるときも太ももを支えるだけで立ち上がれるようになった。立ち上がる力の七割ぐらいは戻ってきているかもしれない。歩く速度も姿勢も戻りつつある。但し屈むとなると難しい。それでも姿勢を変えたりすることである程度用を果たせるようになってきている。風呂桶に浸かって温めたりして解れてきているが、まだ芯にあたるところが残っていて、範囲が小さくなってきている。

シカゴ交響楽団を最後にバーデンバーデンで聞いたのはいつのことかと調べてみた。どうも1998年のことらしい。つい先日のことのように楽屋口にいたシナ系のヴィォラ主席の顔を思い出すが、二十年近く前になるので驚いた。バレンボイム指揮シェーンベルクとマーラーのプログラムだった。管弦楽団の面々もショルティー時代とは変わり、音楽的には上手いと思ったが嘗てのような圧倒的な印象はなかった。その後、特にピエール・ブーレズ指揮のCDでフィラデルフィアやクリーヴランド管弦楽団の録音などを聞くとシカゴに劣らずに素晴らしい響きであったので、シカゴ交響楽団が抜きん出ているかどうかを疑問に思うようになった。

そしてそのフィラデルフィアの管弦楽団を監督していたリカルド・ムーティ―がシカゴの音楽監督になったと聞いて驚いた。オペラ指揮者としてだけではなくデビュー当時から管弦楽指揮者としても成功している指揮者であるが、そのレパートリーやプログラムがあまりにも月並みな商業主義的なものだったので余計に驚いたのである。アメリカの楽団としては伝統的なレパートリーなどを求めたともあるが、オーケストラビルダーでもない独特の音響的な魅力も無いような指揮者で一体何をしようとしたのかもあまり分からなかったからである。

しかし今回のプログラムを見ると中々面白い。ヒンデミートとエルガーの作品50の両方ともあまり知らない曲であり。後半の「禿山の一夜」と「展覧会の絵」の組み合わせも充分に面白い。特に「禿山の一夜」は短いながらも管弦楽演奏が楽しみな曲である。手元にはロンドンフィルハーモニー楽団の録音などがあるが、指揮者のテンシュテットが丁寧に弾かせようとしているようだが、技術的に要求に充分に応えられていないようである。ムーティ―が指揮者としてどこまで精妙に弾かせようとするのかは分からないのだが、超一流の管弦楽団ならば可成りな演奏が可能な筈である。

そして今残券状況を見ると散々足るものである。これならば七割ぐらいしか埋まらないかもしれない。価格はベルリンのフィルハーモニカ―よりもお得である。ティーレマン指揮シュターツカペレドレスデンのブルックナー演奏会よりは大分高価だが、少し余計には売れている。理由は分からないが、指揮者、交響楽団と共にあまり人気が無いのだろうか。ブルックナー、バレンボイムで思い出したが、最近このユダヤ人指揮者はベルリンの状況を絶賛する一方、反例として日本を名指しして挙げている。過去を乗り越えられていない悪例としてである。その指揮者がフジサンケイグループに招かれ特別にブルックナー全曲演奏会を行ったのちの発言であるが、一体どのようなアピールを東京ではしたのだろうか?



参照:
東京の失われた時の響き 2016-03-06 | マスメディア批評
TV灯入れ式を取り止めた訳 2017-01-02 | 暦
コメント
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