Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自称ワイン皇太子の品定め

2011-10-10 | 
プファルツのワイン女王戴冠式があった。残念ながら知人は選ばれずに一年間プリンセスとして活躍する。そしてどの娘も愛するワインにリースリングを強調する者はいなかった。お里が知れるのである。如何に、リースリングがエリートの環境があるゆえにかである。

TV中継で受け応えやカメライメージを観ていれば、今回の選定に異論はない。ランダウのヌースドルフ出身の新女王は、カールスルーヘ大学でドイツ学を専攻していて、余暇のロッククライミング風景も紹介されていた。何処にでもいそうな自然な感じが好感に繋がったのだろう。

さてお目当ての彼女は最後に会ってから三年近くたっていて、あの当時感じたはっきりしない顔の感じなどの見せ方を作ってしまった分、なるほど魅せるようになったのかもしれないが、最も好ましかった初々しさが無くなってしまっていた。

彼女が皆とワインを飲むと言うときに、敢えて女友達と言わせるところに、彼女の問題などを感じてしまったのである。どちらかと言えば引っ込み思案気味の彼女が今回のような女王を目指すとは意外であったのだが、TV生中継録画を見て、その動機付けや意識が理解できたのである。

しかし、そうした動機付けが、その魅せ方と共にどこかぎこちなさを回りに思わせて、減点要素となったのである。それは、TV目線を意識するとか、応答の技をトレーニングするとかの専門的な指導で何とでもカヴァーできるのだが、やはり選ばれる女王はその当たりが天然に出来ると言うような相違があるのだろう。

その反面、当日の審査員の中には過去の女王やワイン業界関係者、代議士や政治家など多くの知人が含まれていて賑やかであったが、その過去の女王様の個人的なキャラクターを考えると、必ずしもラインラント・プファルツの保守党議会代表となったユリア・クルックナー女史のようなタイプだけでなく、現在孫がいるような歳になってもはにかみがちのおばあちゃんまでいるのである。それでも女王に選ばれた「威光」が窺えるのである。

摘み取りの終わったグランクリュを幾つか回った。そして、ソンマートリービと呼ばれる遅れて夏に実をつけた小さな葡萄の房が残されている。醸造所が所有権を放棄して鳥の餌として残されているものである。それでも、その葡萄を齧るとそれなりの地所や土壌の年度による特徴が現れているのである。所謂テロワールがそこからでも窺えるのだ。もちろん摘み取られた葡萄の味と比較していなければあまり各章に満ちたことはいえないのだが、ある程度は分るのである。

写真右下から時計回りに、イエズイーテンガルテン、キルヘンシュトュック、ウンゲホイヤー、ペッヒシュタインである。味筋は、健康の味、深みのある味、個性のある味、はにかみの味と出来上がりのリースリングを想起させる。特に今年は、南側向けの斜面で傷みが目に付いたが、流石にビュルクリン・ヴォルフは健康な葡萄を最後の最後に収穫した。ドイツで最も高価なグランクリュワイン、キルヘンシュトュックの出来の良さはこれで確認できたようなものである。その将来性をもである。



参照:
Anna Hochdörffer ist neue Pfälzer Weinkönigin (SWR)
あの時の気立ての良い娘 2011-09-02 | 女
コマンタレヴー, Mme? 2005-10-11 | 雑感
新極右翼親仁に学ぶこと 2009-01-26 | マスメディア批評
雷雨が来る前に片付けろ 2009-09-21 | ワイン
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福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事
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不平等には不払いの薦め

2011-10-10 | 歴史・時事
このところの冷えで腰に来ている。だからパンを取りに行っても散歩が精々である。更に腕が病めてくると毎年ながらシーズンの終わりを感じさせる。冬の室内シーズンへの掛け渡しが難しいところである。

「日本の小歴史」を読んでいて、面白いと思った記述は明治維新後の国体と国粋主義の関係への言及で、それらを一線隔している。そのような状況は二十世紀当初世界的に見られた傾向であるとされて、特に日本では開国時の不平等条約から、西洋への憧憬に対称するものとしての国学への動きとして定義される。

実際には明治天皇の権威と権力の大日本帝国憲法内での裏づけと、プロシアのそれを模範とした帝国憲法での伊藤博文や帝大に招聘されていたヘルマン・レスラー教授のアドヴァイスなど、刻々とそれは第二次世界大戦の敗戦まで解釈に変異があったと特徴付けられる。

その下に、元老政治から官僚政治と政党政治と更に軍を交えての力関係の変化が生じた訳で、その意味から戦後の日本国憲法においても今日に至るまで見られるような独特な力関係を大日本帝国憲法統治下の初期からその萌芽を見てもおかしくはないのであろう。

先日、ネットが朝から不通になっていた。前日普通に終了していたので、当方側の問題はない筈だったが、苦情電話をすると懇切丁寧にいろいろとこちら側での処置をやらされるのである。そして途中で携帯電話に掛け直させたりして、その通話も途中で切れてから暫くして、回線が正常化したと連絡をよこすのである。最初からテレコム側の責任を認めようとしないのは、まさにテプコなどと同じで寡占企業のやり口である。最終的に数時間の料金を引いて貰いたいのだがどうなることか?

一時世界的に各種公共事業の民営化が話題となった。様々な弊害がそこにあったわけだが、世界中どのようなそうした公共事業も顧客対応に問題があり、使用者である一般国民は皆怒っているのである。要するに市場競争のないところには、顧客サーヴィスなどはなく、市場への自由な新規参入とそれへの資金的援助などが内産業部門はやはり駄目である。

ドイツのテレコムは、通話だけでなくてネットビジネスでも必ずしも寡占企業ではないのだが、スイスなどのそれと並んでやはり評判が悪い。あとから電話が掛かってきて、顧客サーヴィスへのアンケートをと言うのだが、正直それに付き合っている時間も根気もないのである。ああした悠長な態度がまさに寡占公共事業者の特徴である。少なくと東電など解体前に値上げすると言い出したら、国民全員が電気量の自動振り替えをキャンセルして不払い運動を始めるべきである。私自身一度トラブルのあった電話回線は銀行振り落としを止めて振り替え送金にしている。いつでも不払い運動を始めることが出来る準備である。



参照:
Kleine Geschichte Japans, Josef Kreiner, Reclam
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
狂人集団テプコの大罪 2011-09-10 | 歴史・時事
フモーアー満ち溢れた環境 2011-09-06 | 文化一般
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