Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

社会人民共和国の銀河鉄道

2010-10-15 | 生活
ウランバートルへと飛んだ。そこから内蒙古社会人民共和国の大統領官邸へ向う。我々はドイツ山岳協会として牧草の向こう側にある大統領府の招待を受けているのである。ウランバートルの空港は社会主義国らしく草原の中に閑散としている。そこで、外貨持込制限だけでなく、高級品は全て没収されて、その代わりに現地のお土産や通貨と交換させられるのである。つまり、外国から持ち込んだ高級品は預けておいて出国時に、交換した現地商品か現地通貨と再び交換して持ち帰るシステムなのである。

ここで、問題が起こった。仲間の夫婦が大統領夫妻に対して高級な敷物を持ち込もうとしたのである。これを一度交換してしまうと出国時には本物は戻ってこないと不信感が募った。そこでお土産として少なくとも一つだけは持込を許可してもらい、もう一つは写真などの証拠を残して預けることにしたのである。

さてそこからが数百キロ離れた大統領官邸へと国内移動である。物資移動のためには鉄道らしきものはあるのだが、飛行場から空路を飛ばなければいけない。もちろん飛行場は先方には無いので、列車に積み込まれたコンテナの上に操縦席や客席が設けてあるような特殊な飛行機なのである。

機内は国会議員用のキャビン兼コックピットと後部の一般席しかないのである。それは車両して分かれているだけでなく、空中でも汽車として引っ張る形になっている。更に客席には椅子も安全ベルトも何も無いのである。要するに汽車の屋根に乗ってつかまって空を飛ぶような按配である。不安は高まるが、皆で手を確りと握って体のバランスを保つしかないのである。

いよいよ離陸である。汽車であるからそのディーゼルの先頭車両が力強く走り出す。流石の牽引力で体が滑り出す。お互いに握る指に力が入りだしたかと思うと、ふわっと離陸した。そして周りに声が飛ぶ。「こんなに低空で飛ぶのだ」と、なるほど後部車両を見ると、未だ完全に離陸していないのである。

兎に角、我々はずり落ちないように必死で体勢を整えるだけで、一度滑り落ちてしまうと元には戻れない。後部車両の空中での流れによるのか、時々加速したり、減速したりして飛行高度が上下するのがまた気持ち悪い。ここで胃中のものを戻してしたりしまうと握っている手を離すことになるので、酔い止めの食料を与えられ、ぐっと我慢するのである。

二十分ほどの飛行距離なので大したことはないのであるが、着陸が大変である。それ以上に後部の車両の若者が体勢維持のためにザイルで引いて欲しいというのでこれを引き受けるのだがまたこれが厄介である。予想通り、汽車が線路に車輪を揃えて着陸しなければいけないので、通常の飛行機の着陸とは比較にならないほどの高度な技術を要するのである。

殆ど着地姿勢になってからも後部の車両を牽引しているので、時々加速してやらなければいけない。加速減速しながら軌道に車輪を合わせて、我々の乗っている最前車両は着地するのだが、後部車両が丁度凧の吹流しのように長く靡いているので、直線で挙動が定まったときに減速をかけて軌道に上手く着地させるのである。もしこれが上手く行かないと脱線するのである。脱線しかねない後部の人間をザイルで引っ張っているのは私である。

祈るような気持ちでいると最後の直線で力強く急加速して、無事に全車両が着地した。皆で手を叩いて歓声を上げたが、そこからトンネルをくぐって、車内が石灰だらけになり、暫くは呼吸が止まるのである。それを抜けてはじめて大統領官邸の地下駅に着いたのである。トンネルの筒状の先には洗面台があって、石灰だらけの鼻の穴を濯ぐことになっている。タオルを受け取り廊下を隔ててその向かい側の部屋が待合室となっていたのである。着物を着たおばさんはここでは着替えが許されていないと別室へと向ったが、私の薄手の紺のウーステッドのズボンを見ると、ウランバートルの河原での活動で糸が食み出して縦に長く裂けていた。


追記:それにしてもこれだけ複雑な夢をよくも克明に見たものである。様々な体験がこの夢物語に凝縮されているのだが、やはり十代の時に体験した朴軍事政権下での金浦空港などの情景が散りばめられている。チリの救出劇の要素も北朝鮮やモンゴルに招聘されている友人の話もここかしこに生きている。
コメント (2)
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