橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

田峯城(だみねじょう)

2009-05-24 | お城巡り(その他)

田峯城は愛知県設楽町大字田峯字城の山里の中にあります。

空堀に架けてある橋は敵侵攻の際は落とせるようになっています。

まわりにはいくつかの曲輪が作られています。現在は墓地や茶畑として使用されていますが、だいたいの形状はつかめますし、説明札により当時の使用法もわかります。

門です。

見張り櫓に登ると、

現在でも、愛知・長野・静岡の県境付近であり交通の要所であることがわかります。


書院作りの、御殿が復元されていました。

実は、発掘調査の結果、この場所からは遺構が出なかったそうです。
したがって、この建物は史実に基づいていませんが、逆にそのために観光客におおらかに開放しています。

係員の方のお言葉に甘えて、お殿様の席で、

お茶をいただいて、まさに殿様気分。

刀の鑑賞もしました。

もちろん、刃は付いてませんが、大変精巧に作られた模造刀でした。

長篠の合戦で武田勝頼がやぶれると、城主の菅沼定忠は勝頼とともに田峯城へ退却しました。
ところが、留守をあずかる叔父の定直や家老の今泉道善の謀反にあって入城できず、武節城まで道なき山中を退却したそうです。
後年、定忠はこの城を襲撃し、謀反人をことごとく処刑しました。
特に首謀者の今泉道善は生きたままのこぎりで首を落とすという残虐刑に処したそうです。
処刑後に首をさらしたといわれる地や道善の首塚も近くにあります。


田峯城への経路はわかりにくいです。
国道257号線の「田峯」交差点で曲がって田峯観音の表示にしたがって行き、田峯観音に駐車・参拝し徒歩でゆっくり山里の歴史散策をされてみてはいかがでしょうか。




コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥三河~南信快走ソロツーリング | トップ | 沖縄! »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史音痴の私でも (ガス山)
2009-05-24 07:06:04
歴史音痴の私でも楽しめそうですね。
特にお殿様の気分になれるとは面白そう。
アプローチも自然豊かな山の中。
走っているだけでも爽快そうじゃないですか。
返信する
吉野では (むにゃあ ( ̄~ ̄))
2009-05-24 07:12:08
吉野の高城山なるところが、山城の跡か否か議論になりました。ワタクシは否。事実上、城のような役割を果たしただけと思いますが。実際のところどうなのでしょう?
・・・・・・・・・
奥千本と上千本のほぼ中間に高城山(たかぎやま)休憩所がある。休憩所からの眺めは見事なもので、吉野山では最奥の展望台だ。
標高702mのこの山は、高城山又はつつじが城と呼ぶ。1333年(元弘3年)後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)が攻め寄せる北条幕府軍を相手に激しく戦った際、奥の詰城となったという。
返信する
ギクッ” (11-11)
2009-05-24 11:53:51
こんにちは
昨日のツーリングで吉野の高城山に立ち寄りました。私も峠の一角がまるでツツジの城のように見えたという感想で、山城の跡だとは言い難いように思いましたが、テントも城と見なしてくれるならばとても風光明媚な城跡と言う事になるかも知れません。(笑)
返信する
えっ! (タケ)
2009-05-24 13:47:35
こんにちわ!
↑のコメントで高城山について何も書く事がなくなってしまいました橋吉さんの文章や写真配置の構成力には驚かされとても羨ましいです!だって、途中の写真だけならおじちゃんのテーマパーク日記にしか見えませんもの、最終的に田峯城について見事にまとまっております、それにしても満足感が伝わってきます!
返信する
のんびりしていていいです (橋吉)
2009-05-24 16:43:19
>ガス山さんこんにちは
お城も日本史も難しい言葉が出てきて、とっつきにくいですね。でも、こうやって現地に行ってみると理解力はぐんと上がるような気がします。ここは愛知県でも山の奥の奥です。その分のどかな雰囲気があっていいですね。平日に訪問したため、管理されている方が実に親切にいろいろ教えてくれたのも良かったです。
返信する
城と呼んでいいと思います (橋吉)
2009-05-24 16:59:59
>むにゃあさんこんにちは
おっしゃるとおりだと思います。南朝側は山中に逃げ込んだ亡命政府ですから人的にも資金的にも十分なものはなかったと考えます。したがって、自然にあるものを使ってゲリラ戦に備えたのではないでしょうか。状況は違いますが、今話題の春日山城も山全体を城として機能させていたようです。
風光明媚なところはどの方向から攻められても対処しやすく、地名を考えても城の役割をしていたことは十分推察できます。
返信する
城の定義は・・・ (橋吉)
2009-05-24 17:10:39
>11-11さんこんにちは
城というと堀と石垣があって天守閣がそびえたつイメージですが、それは安土城以降です。
それ以前の砦的なものはもちろん領主の館に壕や土塁を築いて武装したものは城であると思います。
時代とともに、軍事目的にくわえ、権力の象徴さらに政務を執り行う場所と機能が増えていったように思います。
返信する
まさに! (橋吉)
2009-05-24 17:15:48
>タケさんこんにちは
うまいことおっしゃる!まさに、おじちゃんのテーマパークです。貴重な体験をしました。
ガス山さんのコメントで述べたように、現地へ来てこのあたりの歴史の流れが少し理解できた(ような気がします)。なかなか文章だけではわかりにくいですね。
返信する
ご満悦ですねー (石井さん)
2009-05-24 18:57:26
橋吉どの、さながら城主のようですな。
気持ち良さそうですね。

城マニアとか刀マニアの外国人が見たら生唾ものです。ちなみに豪の友人は城マニア(プラモと模造刀に一番Tシャツです:全然分かっていないやつ:爆)
返信する
楽しんだもの勝ち (橋吉)
2009-05-25 04:58:43
>石井さんこんにちは
テーマパークでは大人も童心に返って楽しんだもの勝ちだと思います。その意味では、まさにタケさんのおっしゃるとおりおじちゃんのテーマパークです。海外の方はそう言った楽しみ方が上手な方が多いような気がしますが、私の思いこみでしょうか。
返信する

コメントを投稿

お城巡り(その他)」カテゴリの最新記事