橋本屋吉次郎電子日誌

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美濃路を歩く その25(大垣宿2)

2015-03-27 | 街道を歩く

西総門を越えると、舟町となります。
それまでは城下町・宿場町としての町の様子の覗かせていましたが、ここからは「水の都」大垣の姿を見せます。

【舟町道標】

西総門にあったもので、「左 江戸」「右 京みち」と刻まれています。

【住吉燈台】

住吉燈台は1688(元禄元)年~1704(宝永元)年前後の建造といわれ、当時の面影を今も残しています。

大垣の中心を流れる水門川は、桑名と結ぶ輸送経路として、明治時代に入っても物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。
 

 


住吉燈台脇の建物
いままで見てきた街道脇の建物と違い、自然な感じにかけるような気がします。

水門川を渡ると「一ツ目橋」の石柱がオブジェとして歩道に置かれていました。
 

 

【船町中組常夜燈】

元禄年間(1688~1704)に船町中組総代の谷久大夫(木因)が、舟運の安全を祈願して建立したと伝えられています。
現在の燈は、1887(明治20)年に再建されたものです。

【奥の細道むすびの地】


松尾芭蕉の奥の細道は北関東・東北・北陸を経て、大垣で終わります。

それだけではなく、同門の友人である谷木因(たにぼくいん)を訪ねて芭蕉は4回にわたり大垣をおとずれています。


(左)松尾芭蕉、(右)芭蕉の旅立ちを見送る木因です。


(右)木因俳句道標 「南いせくわなへ十りざいがうみち」
(中)蛤塚 「伊勢にまかりけるを、人の送りければ」「蛤のふたみに別行秋そ」芭蕉が奥の細道の旅をおわり伊勢に向った別れの句です
(左)木因白桜塚 「惜ひひげ剃たり窓に夏木立」
  

【大垣市奥の細道むすびの地記念館】

所在地: 岐阜県大垣市船町2丁目26番地1
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 無休 (ただし、12/29~1/3及び展示替えの場合は休館)
入館料: 一般300円、団体:150円 (18歳以下は無料)


大垣藩の藩老小原鉄心の別荘 無何有荘もあった大醒榭亭
中国風意匠を随所に取り入れたユニークなデザインです、

奥の細道の解説をはじめ、芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介しています。

大垣市奥の細道むすびの地記念館を後にして、趣のある建物をみながら西へ向かいます。
 



 

街並みに合わせた郵便局
 

【芭蕉・木因遺跡】
 
 

1694(元禄7)年芭蕉が大坂で病没すると木因はこれを深く悼み、「芭蕉翁」追悼碑を建てました。
 

その後、木因碑を初め多くの追悼碑、句碑が建てられました。
 

正覚寺の境内にあります。
 


大垣は「水の町」でもあり「芭蕉の町」でもあるのです。

(続きます)


コメント (2)
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