美濃路を歩く旅、8日目(最終日)の記録です。
大垣にはいくつかの市営駐車場・駐輪場が設けられています。
このうち、大垣駅西自転車駐車場は自動二輪も駐めることができ(200円/日)、本日はここからスタートします。
【大垣城東総門(名古屋口御門)跡】
大垣駅の南にあります。
スナックがいっぱい入ったビル
繁華街ですが、道路は石畳で、ベンチなどが置かれてわざとジグザグにっているので、クルマは速度を落とさざるをえず、歩行者にとってありがたい造りになっています。
【高札場案内板】
このあたりに高札場があり、札の辻と呼ばれていました。
現地案内板よると、昭和になっても掲示板として利用されていたそうですが、現在は何も見当たりませんでした。。
案内板も整備され、観光に力を入れているのがわかります。
【大垣宿脇本陣案内板】
少し先南に進むと大垣宿脇本陣跡があります。
今は、田中屋せんべい総本家がたっています。
【本町道標】
「右 京道」・「左江戸道」と刻まれています。
江戸に向かうのは竹鼻街道という美濃路の脇往還で、駒塚道に接続し、尾張・富田村への短絡路となっていました。
美濃路を歩く その17(萩原橋~高木の一里塚)の【駒塚道分岐】につながるわけです。
【美濃路大垣宿問屋場跡】
本町道標で西に曲がり、最初の交差点で南へ、そこから2つめの交差点角に問屋場跡の石柱があります。
この店、開店前につき何屋さんか分かりませんが、大垣の宿場や美濃路についての手作りの説明や地図、見取り図などが外壁一面に掲げられていました。
【大垣宿本陣跡】
大垣宿本陣は、竹島町にありました。
1692(元禄5)年、火事により焼失しましたが、その後再建され 、1850(嘉永3)年には本陣の改築が行われました。
現在は資料館となっています。
所在地:岐阜県大垣市竹島町39
開館時間:土日祝10:00~15:00,平日12:00~15:00
1878(明治11)年には明治天皇の宿泊所にも利用されました。
そのときの宿泊の間
係員の話では、本陣の建物は濃尾震災で被害を受けた後、大垣空襲で焼失してしまったのですが、宿泊の間だけは奇跡的に残ったそうです。
本陣跡向かいにある趣のある建物
こういう表示はありがたいです。
現在のメインストリートは新しく幅広い道に変わったので、古い建物が残されています。
【柿羊羹本舗 つちや】
創業宝暦五年(1755年)の和菓子の老舗です。
風格さえ漂う大きな手彫りの木製看板
よく見るとローマ字でも表記されているところがおしゃれです。
名物の柿羊羹は竹筒に入って売られています。
美濃西部は柿の産地で、大垣も「大柿」が名の由来だとか。
【飯沼慾斎(よくさい)邸跡】
飯沼慾斎は、文化・天保のころ蘭方医です。
晩年は植物学の研究に没頭し、リンネ(学名の創始者)の分類法による植物学書『草木図説』を著しました。
現在はカフェが建っています。
山車倉庫
大垣祭りでは十台披露されます。
【大垣城 西総門跡(京口門跡)】
名古屋方面に通じる東総門とともに明け六つに開かれ、暮れ六つに閉じられました。
(続きます)