橋本屋吉次郎電子日誌

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美濃路を歩く その19(木曽川)

2015-03-06 | 街道を歩く

起宿をさらに北へ進み、濃尾大橋へ向かう坂の下をくぐり抜けます。
 

まだまだ、風情ある建物がたくさん残っています。
 
 
 
 


太平洋戦争の時、白壁が目立つので黒塗りされた蔵
これも歴史の証人です。


【定渡船場跡】


金比羅神社

境内に定渡船場跡の碑があります。
 



大きな常夜灯は灯台として活躍していたのでしょうね。


 


【木曽川】
定渡船場近辺の木曽川
 

起には3つの渡しがありましたが、いずれも現在では運営されていません。
3kmほど下流には「中野の渡し」がまだ、運行されています。
そちらは、いずれまたツーリングと訪れたいといと思っています。

木曽川にかかる濃尾大橋
 

ここを歩いて渡ります。
 

さらば、愛知県
 

歩いて木曽川を渡るのも、歩いて岐阜県に入るのも初めての経験です。
 

橋は車道と歩道が分かれていますが、車が行き交うと揺れので、少々怖いです。


こんにちは、岐阜県
 


【正木の本堤】


岐阜県側木曽川堤防脇に置かれた顕彰碑


大野伴睦氏をご存じですか。
岐阜県出身の代議士で新幹線岐阜羽島駅前に夫妻の銅像が建っています。
鈴鹿峠を通るはずの東海道新幹線をむりやり岐阜県に引っ張り、田んぼの真ん中に岐阜羽島駅を作らせた・・・とよく言われているのですが
事実はかなり違うようです。
鈴鹿山脈を越えるためにはかなりの難工事が予想され当時の技術的障害や建設コスト面の問題などもあり、在来線である東海道本線同様に関ヶ原経由に変更されたのです。
そこで、国鉄名古屋から関ヶ原までを直線で結ぶ現在のルートを考えていたのですが、岐阜市経由を望んでいた岐阜県や地元自治体に伝わると猛反発に遭ってしまいました。
国鉄側としては関ヶ原が積雪した場合のために近くに車両基地が必要でした。
そこで、大野伴睦は岐阜県内に新駅を作ることを提案させ、岐阜県民を納得させたのが真相だそうです。

 
 


【起渡船場石灯台】
交通量の多い道路の真ん中になってしまっていました。
 

1770(明和7)年に、夜渡船で難儀をした竹鼻出身の力士が、油代として田二反を併せて寄進したそうです。
 
 
 

 


コメント (2)
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