橋本屋吉次郎電子日誌

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二本松城

2014-09-04 | お城巡り(日本100名城)

米沢から一般道と高速を半々に乗り継ぐこと約1時間
二本松へやってきました。


二本松城は室町時代に築かれ、明治に至るまでたびたび城主が変わりました。

広い駐車場が用意されています。
 

戊辰戦争に際して、二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦いました。
しかし、藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつかれ、新政府軍が二本松城下に殺到し、僅か1日の戦闘において落城してしまいました。
手薄になった攻城戦においては「二本松少年隊」と呼ばれる少年兵も動員され、犠牲になってしまいました。


二本松少年隊像
右には悲しい気持ちを押さえて息子の軍服を縫う母親の姿を像があります。


箕輪門
箕輪村(現在の二本松市内)山王寺山のご神木を主材としたため、この名がついています。

 

石垣の上には樹齢350年を超えるアカマツが枝を伸ばしております。
戊辰戦争を見てきたのでしょうか。
 

箕輪門を通り抜けると三の丸下段になります。


山田脩翁像
わが国最初の民間機械製糸工場の創始者だそうです。
製糸産業は明治初期の日本にとって主力産業でした。

菊人形展の準備が行われています。
 

石段を登ると三の丸下段ですが、
 


ここでも菊人形展の用意がされていました。
五重塔でしょうか。


なるほど、これだけ大がかりならば日本最大というのもうなずけます。
皆さん忙しそうにしている中、邪魔をしてもいけないのでここは早々に退散しました。


箕輪門から天守台までは山道を20分ほど歩くと着きますが、私はバイクに乗り
二本松市自然休暇村管理センター脇から向かいました。

車でも行けますが、すれ違いは厳しそうですし、水たまりもありました。
 


見えてきました。

駐車場は車10台ぐらい止められそうです。
 

ここから本丸からはすぐです。
 

なかなかの高石垣です。
 

本丸は石垣に囲まれた高いところにありました。
 

東櫓の跡
 

西櫓の跡
 

天守台
 


家老丹羽和左衛門と勘定奉行安部井又之丞自刃の碑
戊辰戦争による二本松城落城に際して、共に自刃した両人の供養碑です。

現在の二本松市街
 

日本百名城スタンプを得るため、JR二本松駅へ行ってみました。
 

駅前には二本松少年隊群像のうち一体が置かれていました。
 

駅構内の観光案内所でスタンプを押すことができます。
 

なお、二本松市歴史資料館にもスタンプはおいてありますが、残念ながらこの日は休館でした。

建物は残されていませんが、見た目だけでなく、実践的な縄張りの城で会ったと推察しました。
すくなくとも、会津若松城よりも攻めがたいはずです。
戊辰戦争では1日で陥落したのが信じられないです。
おそらく、太平の世が続いたため、戦の采配能力が低下していたと思います。
逆に、会津若松城は地形的にもさほど急峻な場所ではなく、あの地で1ヶ月も籠城したことは改めて驚異に感じ得ません。

この後、白河まで移動し、新白河駅前のビジネスホテルに宿泊しました。

コメント (4)
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