橋本屋吉次郎電子日誌

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鉢形城

2012-10-03 | お城巡り(日本100名城)

鉢形城は、埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にある戦国時代の城跡です。
荒川と深沢川に挟まれた地形を利用して作られています。


現地案内板

鉢形城を築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられています。
その後、小田原の北条氏康の四男氏邦によって整備拡張され、北条氏の北関東支配の拠点となりました。
武田信玄や上杉謙信の攻撃にも耐え抜きましたが、秀吉の小田原征伐が始まると前田利家・上杉景勝など北国軍に包囲され、一ヶ月の籠城の末むなしく廃城となりました。

まずは歴史館へ行って、予備知識とフィールドマップを仕入れました。


                      鉢形城歴史館
          所在地:埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
                  開館時間:9:30~16:30
 休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、祝日の翌日、年末・年始
            入館料:一般200円,高校生・大学生100円

日本百名城スタンプもここで押すことができます。
   

また、広い駐車場も用意されています。
利用時間は開館日の9:00~17:00


外曲輪
深沢川南にある大きな曲輪、歴史館もこの一角にあります。


土塁が囲んでいます。


馬出
角馬出とよばれる長方形の馬出は北条氏の城の特徴です。


伝逸見曲輪
鉢形城は全体像がとらえにくいので、フィールドマップを手にしての見学をお勧めします。


深沢川の水を引き込んで堀としています。


諏訪神社
諏訪部遠江守が家老になった時に信州の諏訪神社から神様を分祀され建てられたそうです。


虎口
諏訪神社から三の曲輪へはまっすぐ行けないようになっています。


復元された四脚門

ここをくぐると
三の曲輪です。

三の曲輪の土塁は石垣におおわれていました。

石組みの排水溝跡も見られました。


伝秩父曲輪に復元された四阿(あずまや)


井戸


三の曲輪と二の曲輪の間の堀

敵が青線方向に移動し塹壕戦を行うのをじゃまするために、畝が赤方向に作られています。
北条氏の城に見られる構造です。


堀にかかる木橋


二の曲輪


本曲輪
樹木展示林として約680種もの国内・外国産の樹木が植えられています。


田山花袋は旅行でこの地を訪れ、景色の良さに驚嘆し漢詩を残しました。
「襟帯の山河は好く、雄視す関八州、古城の跡は空しくありて、一水なおも東にながる」


伝御殿曲輪あたりだと思うのですが自信がありません。


当時の石垣が露出しています。


笹曲輪


荒川にかかる正喜橋から本曲輪方向を見てます。
城がかなり険しい崖に守られていることがよくわかります。

鉢形城は河岸段丘につくられた城です。
ある角度から見るとかなり険しいですが、別の角度から見ると平坦にもみえます。
歩いてみると思った以上に疲れ、見学に1時間以上かかりました。
自分だったら武将だったら、なめてかかり、一斉攻撃をかけ、返り討ちに遭っていたと思います。
名城です。

この日は足利氏館・金山城・鉢形城と日本百名城を3カ所まわりました。
百名城ではありませんが、このあと吉見町の松山城も見学する予定でした。
しかし、残念ながら日没サスペンデッド、東松山市のホテルへ。

東松山の名物は焼き鳥
駅前には何軒もの焼鳥屋が・・・
変わっているのは豚の頭肉をつかった「カシラ」も一緒に売られているところです。


テイクアウトしてホテルで一杯やりながら、この日は眠りにつきました。

コメント (4)
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