1590(天正18)年、諏訪氏にかわって豊臣秀吉の家臣日根野高吉(ひねのたかよし)がこの地を治めることになると、山城である金子城を廃し、諏訪湖畔に高島城を築くことにしました。
諏訪湖の中に突出している洲に築城したため、まるで湖面に浮いているように見えたそうで、別名浮城とよばれていました。
また、松江城・膳所城とともに日本三大湖城の一つとして数えられております。
現在、本丸跡が高島公園として整備され、1970(昭和45)年には天守・櫓・門・塀が復元されています。
復興天守閣
残念ながら鉄筋コンクリート建てで、内部は資料館となっています。
石垣は野面積み
展示されている復元模型
最上階からの眺め、本丸跡です。
門の付近
諏訪湖を望みます。
江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、かつての水城の面影は失われてしまいました。
本丸庭園
素人目にもわかる見事な松
亀石
水をかけると、亀が生きているように見え、願いがかなうそうです。
いかがでしょうか。
一角には諏訪護国神社がありました。
冠木櫓門
内側から見た様子
冠木橋
角櫓と長塀
三の丸御殿裏門
この門は移築されたもので、本来は御川渡御門とよばれる湖に面した門があり、ここから船に乗ることができたそうです。
現在では住宅地になっていました。
本丸搦手である土戸門跡
脇に道祖神があるのが信州らしいです。
堀
鴨がたたずんでいました。
この地は軟弱地盤であったため工事は過酷を極めたそうです。
地盤を固めるために石のたぐいを土中に埋めました。
諏訪地方に古い墓石がないのは、この時に石垣に用いられたからだとさえ言われています。
郡下の老若男女を駆り出し、怠る者を石垣の中に生き埋めにしたり、逃亡者を出したりもしたそうです。
こうして1598(慶長3)年に完成した高島城ですが日根野高吉はわずか2年後にこの世を去り、さらにその翌年には日根野氏は下野国壬生藩に転封となってしまいます。
かわりに、元来この地を治めていた諏訪氏が入場します。
一度は武田信玄に滅ぼされたが、やがて再興した諏訪氏は三度この地を治めることとなり、明治まで続きました。
高島城天守閣
住所: 諏訪市高島1町目20-1
電話番号: 0266-53-1173