橋本屋吉次郎電子日誌

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春日山城(前編)

2011-10-09 | お城巡り(日本100名城)

言わずと知れた上杉謙信公の居城です。
南北朝時代からあった小さな城を謙信が大規模に整備しました。


大小いくつかの曲輪を設け、山全体を巨大な要塞としています(現地案内板)。

遺構は2キロ四方になりますが、是非とも一周していただきたいです。
駐車場は何カ所かありますが、どこから出発してもおなじところへもどるのでどこにとめても良いかと思います。


各駐車場脇にはウォーキングマップが設置されています。
広い城なのでこれは大変ありがたいです。


番所跡
今でいう守衛さんが居たところです。小山は木戸の土塁の跡です。


狭い大手道


南三の丸
奥に土塁が見えます。


柿崎和泉守屋敷跡



御成街道
謙信と親交があった関白近衛前嗣が通ったためこの名がついています。
しかし、見ての通りの細道です。信長や秀吉ならこれ見よがしの立派な道を作ったでしょう。


二の丸


米蔵跡
奥に土塁が見えます。


三の丸


三の丸奥にある上杉景虎屋敷跡
景虎は北条氏康の息子で人質として春日山城へやってきましたが、やがて謙信の養子となります。




縦堀
草が茂ってわかりにくいですが、谷を利用した深い堀です。


空堀
こちらを尾根を分断するように人工的に掘られた堀です。


虎口
各曲輪への道はわざとくねらせています。
写真では左から土塁が突き出ています。



本丸


本丸からの眺めです。


油流し
本丸西側の急斜面は油を流したように侵入を防ぐため、この名で呼ばれていました。


天守台


大井戸
本丸西側にあり現在も水を蓄えています。
いかにに堅牢な城でも、水が出なければ戦えません。


上杉景勝屋敷跡

謙信は世継ぎを指名していなかったため、死後、景虎と上杉景勝との間で跡目争い(御館の乱)がおこりました。


護摩堂
占いや祈祷のために護摩を焚いたところです。
この建物は模擬復元された休憩所です。


毘沙門堂
謙信は毘沙門天を信仰し、その旗印の「毘」としました。
安置されている毘沙門天は米沢にも移されましたが、火災で傷ついてしました。
後に、高村光雲によって修復され、現在に至るそうです。


お花畑
各堂に献ずる花や薬草が栽培された場所。
このような遺構が残っていることも謙信の城らしいとおもいます。


直江屋敷跡


春日山神社


祭神はもちろん上杉謙信です。

訪問される際には、ハイキングに適して靴・服装にしましょう。
また、駐車場以外には自販機がありませんので、飲み物の用意をお忘れ無く。

(後編に続きます)

コメント (18)
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