豊臣秀吉の重臣であった蜂須賀小六正勝および、その息子で阿波藩祖の家政の出生の地を訪ねてみました。
現地へ行く前に、あま市美和歴史民俗資料館に寄って予習を試みました。
文化・風俗についてはけっこう詳しく展示されておりましたが、歴史についてはさほどではありませんでした。
現在は合併し、あま市となった旧美和町は、蜂須賀小六正勝の他、豊臣秀次・福島正則・溝口秀勝など多くの武将を輩出しているので、もう少しPRに力を入れてもよいかと思います。
蜂須賀城跡は、歴史博物館からカブで5分ほどの蓮華寺に隣接してあります。
もっとも、現在残されているのは蜂須賀小六正勝公顕彰碑
と城跡を示す碑だけです。
蓮華寺は蜂須賀家の菩提寺でもあるので寄ってみました。
弘仁9年(818年)、弘法大師が熱田神宮に参籠して一千日の護摩を修めた時、神託をうけて創建した名刹だそうです。
小六正勝の子で阿波藩祖である蜂須賀家政はこの地で産まれたと言われています。
その家政寄進と伝える山門
本堂。本尊は阿弥陀如来。
蜂須賀小六正勝は桶狭間の合戦の時に、この当時安置されていた鉄地蔵の錫杖を持って
出陣し、大勝したそうです。
後に蜂須賀家は錫杖を家宝としているそうです。
蓮華寺の裏にある蜂須賀山は、標高わずかに11.8mですが、
三角点が置かれたり、
自然植生の常緑広葉樹が繁茂する、貴重な森だったりします。
かつては、この山を一周するように道があり、お地蔵さんが並んでおりました。
中学生の頃の橋吉少年はそんなことは全く理解できず、この道を自転車で走行し、友人と足の着く回数の少なさを争ったりして喜んでおりました。
そういった、馬鹿野郎のせいか、現在は入れないようになっていました。
もっとも、お地蔵様は移動しておりました。
以前は倒れたり、首が取れていたのもありましたがすべてきれいに直されていました。
よく見るとこのお地蔵様は四国霊場の代わりになっているのですね。
100mほど南西へ行った龍圓寺には蜂須賀小六正勝の旧邸祉碑がありました。
あま市美和歴史民俗資料館
愛知県あま市花正七反地1番地
開館時間 9:00~16:00
休館日 水・木曜・祝日及び12/29~1/3
入館料 無料
蓮華寺
愛知県あま市蜂須賀大寺1352