自慢にもならないが、万葉集のことは殆ど知らない。
87年の暮れだから随分と昔、斎藤茂吉の「万葉秀歌(上・下)」(岩波新書・38年刊)を走り読みした程度。
こちらは08年の新春だからそんなに古くはない。
NHKが「日めくり万葉集」という番組を放送、日曜の夕方に1週間分まとめて再放送したのでご覧になった方もあると思う。
著名人168人が選んだ457首に別に選んだ43首を加え「万葉秀歌500選」としてHPで公開している。
そのトップページは大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)。
恋多き女が、“ あなたは来ようと言っても来ない時があるのですもの、来ないと言うのをそれでもひょっとしたら来られるかもなど頼みに思って待つのはやめておきましょう、来ないと言っているのですもの ” と詠んだこの歌、
来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを
来むとは待たじ 来じと言ふものを (527/500選)
いかにも、田辺聖子さんが選びそうな歌である。
その坂上郎女の母違いの兄の大伴旅人、「酒を讃むる歌」が13首もあって茂吉は全首採っている。
價(あたい)なき 宝といふとも 一坏(ひとつき)の 濁れる酒に 豈(あ)にまさめやも(345/茂吉選/500選)
生ける人 遂ひにも死ぬる ものにあれば 今在る間は 楽しくをあらな (349/茂吉選/500選)
無類の酒好きだったという旅人 “ 値のつけようがないほど貴い宝と言っても一杯の酒にどうして勝てようか ” と詠み “ 生きている人は何れは死ぬものなのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ ” と続けていて吾が意を得た思い。
エルサレムの<悲しみの道>の第6留、十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩くイエスの顔に流れる汗をベロニカが拭ったところ、布にイエスの顔が写っていたとされる場所。
その聖人に捧げられたことから「ベロニカ」と呼ぶこの花、和名が瑠璃虎の尾、なるほど<虎の尾>にもまた鶏頭にも似ている。
いにしえから愛されていたらしい「鶏頭」、万葉集にも幾首かあり、ここでは詠み人知らずのこの歌、
秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし 韓藍(からあゐ)の花を 誰れか摘みけむ (1362)
“ 秋になったら染めようと思って私が蒔いた韓藍(鶏頭)の花を、一体誰が摘んでしまったのだろう ” あの娘は誰のものになってしまったの、と哀しんでいる。
万葉秀歌に比べるも痴(おこ)がましいが、旅を重ねて500回、感謝。( / )
Peter & Catherine’s Travel Tour No.500
* ×××× なペトロさんとカタリナさん、いろいろな話題に感心し楽しませていただいております。
1000回目指して頑張って下さい。[E:happy01]
(* 褒め過ぎです。記事の投稿者のペトロが伏字にしました。でも、ありがとう)
重ねられた旅を人生になぞらえれば、500回はこれからも続くであろう旅のひとつの区切りでしょうね。
ふたりの旅に仮想同行して、そんな風に思いました。おめでとう、そして、次へ。[E:foot]
これからも、ふたりの旅が続きますように。[E:ribbon]
だんだんと鞄が重くなり、足もよろよろと頼りなくなってきましたが、もう暫く旅を続けたいなと思っています。
難儀なことに、両の手合わせて十本もの指を神様から頂きながら人差し指だけを働かせ、そのうえ鼻眼鏡をかけても字が滲んで、2時間も有あれば書けた原稿が、半日、一日と・・・。
とまれ、これまでを感謝し、これからをお願いして。([E:libra] / [E:key])