ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

フリードリヒ 「海辺の僧侶」 「樫の森の僧院」

2017年09月07日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/アルテ・ナツィオナールガレリー編 (6) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (88)

 ベルリンを切り上げ、自由ハンザ都市ハンブルグを経てフランクフルトに向かう前に少し寄り道をしている。

 ただ、この頃になるとゲマルデ・ギャラリーに続くアルテ、残念ながら少々疲れてしまった。
 が、ドイツ・ロマン派を代表するカスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)の作品を見ずしては・・・と、健気?にも気力を奮い立たせている。

 ちなみにロマン派とは、“ 理性、調和、形式美を追究する古典主義に反抗し、感情、個性、自由を尊重、自然との一体感、神秘的な体験や無限なものへの憧れを表現 ” (大辞泉)、スペインの<ゴヤ>(1746-1828)やイギリスの<ターナー>(1775-1851)などが知られている。

 フリードリヒは、宗教的含意をふくむ風景画によって知られ、後のドイツ・象徴派を代表するアルノルト・ベックリン(1827-1901)などに大きな影響を与えたとされている。

 そのフリードリッヒ描く風景は、北ドイツ、バルト海沿岸の荒涼として峻厳な風景、またザクセン、ハルツ地方の険阻な山岳の風景から想を得ているとされている。

 彼描く木々、丘、海、雲間、光などは、緻密な自然観察に拠るものであると同時に、精神的であり、何か見えないものへの畏怖を感じさせる、と評されているようだ。

 そんな彼の 「海辺の僧侶」(上/1808-10年/110×171.5cm)と 「樫の森の僧院」(下/1808-10年/110.4×171cm)、プロイセン王国のシャルロッテンブルク宮殿時代から対で展示されてきたという。

 とまれ、フリードリヒ、孤独と貧困の中で亡くなったとされてい、死後、その名声は急速に衰えてしまうのだが、20世紀になって再評価されたとも言われている。

 そんなことで、作品の前で彼が問いかけるものを考えてみたのだが、ペトロ ごときには手に余る・・・、ことを改めて思い知らされただけだった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1373


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