花の頃と思っていたのですが、弱虫ペトロ、一年も手許に置いて仕舞ました。
さすがに、これ以上の我儘は許されません。
一昨々日(11/15)、夙川教会において、ガラシア病院でホスピスを余儀なくされたとき、ともすれば折れそうになる心を支えて下さったチャプレン松本神父様の司式で一年祭、追悼ミサを、その後、甲山墓園の教会共同墓所にて納骨式をして頂きました。
親戚のみで営んだ一年祭と納骨式でしたが、質素を旨に生きた彼女のこと、きっと、「それでいいのよ」と許してくれると思っています。
この日、何処からか、「ねっ、晴れたでしょう」と、聞こえてきそうなほど空は高く青く澄んでいました。
式を終えた夜、独り遺影に向き合いました。
朝まで傍にあったお骨が納まるべき場所に納まっただけで、また別の喪失感に苛まれてしまいました。
拙宅の北の窓から甲山が望めます。
翌朝、手を伸ばせば届きそうなその甲山を眺めていたら、締めた帯をぽんと叩き、「よし、行ってくるよね!」と嬉しそうに茶会に出掛けた姿を思い出しました。
前号で投稿した、「昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン」で、夫・一樹さんを病気で見送ったテツコさんに、「昔のことは一寸ずつでも手放さなきゃ前へ進めない・・」と語らせていました。
共感はしつつも多くもない残りの時間、無理に手放さなくとも、そのようにも思っています。
カタリナ が賜ったご厚情に、あらためまして御礼を申し上げます。
秋の夜長、お茶碗を掌にされた折にでも、お仲間との語らいを、お茶を、こよなく愛した女(ひと)がいたことを、ちょっぴりでも偲んでやって頂けたらこれに優る喜びはありません。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.894
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