TVカメラを前に、「場合によっては停電にしなければ!」と力が入る。
赤信号皆で渡ればとばかりに東も西も口を揃え、むしろ被害者だと思っているのか悪びれる風もなく、慇懃に申される電力会社のお偉方の態度、聊か不愉快ではあるが、それも一考の機会かも知れない。
忘却とは忘れ去ることなり、黴が生えたラジオドラマの惹句をまたぞろ「持ち出してきて」と笑うが、焙烙(ほうろく)で炒られたような去年の夏のことをすっかり忘れていたが、節電のニュースで思い出しうんざり。
大震災に加えての原発事故で、首都圏では何度か計画停電が行われたようだが、病院や公営交通をはじめ、車から納豆やヨーグルトなどまで、物づくりの現場でも少なからず混乱を来たしたと聞く。
星も隠れるほどの明るい夜、朝まで垂れ流しのTV番組、室内ではTシャツ一枚の冬、夏は薄物を羽織る暮らし振り。
暑さ寒さに折り合いをつけ、質素倹約に暮らした幾時代か前、そこに戻ることなど到底できそうもない。
が、“ この危機、案外と社会全体で仕事と生活のスタイルを変える好機かも知れない ” と、天声人語氏(15日付)も言う。
ところで、そんな神をも恐れぬ所業を嗤う一枚の絵がある。
それは、ウィーン美術史美術館に架かる、<ブリューゲル(父)>の「バベルの塔」(写真上)。
旧約聖書の一節、怠惰と飽食に明け暮れる人々の暮らしを横に、勤勉実直に暮らしたがゆえに神に選ばれし民となり、箱舟で生き延びることを赦されたノア。
その子孫ニムロド王、先祖ノアの教訓を忘れ、天にも届けと呆けた塔を造ろうとした。
見咎めた神、元々ひとつの言語を使っていた民に、「群れると碌なことせん」と、直ちに言葉を混乱させ、互いに聞き分けられぬようにしてしまった。
というわけでこの町はバベルと呼ばれた。
それは神がそこで全地の言葉を混乱=バラルさせ、民を全地に散らされたからで、迷惑千万にも、これが言葉の壁の始まりとなった。
前号が雨の “ <カンパニュラ> ”、今号は、カタリナ が高槻のNaさんから頂いた 「蛍袋」(写真下)、花の中に蛍が入って透けて見えることからこの名がついたらしい。
如何にも納得だが、子供が捕まえた蛍をこの花に入れたから、という説の方が 「楽しいじゃない」と笑う。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.341
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