ミサの終わりに、少年合唱団のミサ曲や聖母賛歌が献じられる。
初めてここに来た時は、季節も時間も違ったせいか訪れる人も少なかたこと、合唱を聴く時間がなく少し悔しい思いを残して山を下ったことなど、前回に書いた。
07年の夏も終わろうかという頃、カタルーニャ鉄道でこの地を再訪したことも書いた。
その折の情けなくもちぐはぐな様が今日の話。
この日の内陣、足を入れるのも憚れるほどの混みよう。
それで怯んでは大阪人の名折れ?どが付く厚かましさで人を掻き分けより分け、脇祭壇のひと隅に潜り込んだ。
何処かのグループがミサに与るらしく、会衆席に座る殆どの人が首に鮮やかな黄色のスカーフを巻いている。
そのスカーフを巻いた可愛い児童ら20人ほどが一組になり、何組にもなって先頭に紙で作った花篭を掲げがやがやと祭壇へと登るので、内陣がざわめきミサが進行しているようには見えない。
そんな訳で、正午から予定されている 《エスコラニア・少年合唱団》 の合唱、時間になっても始まる様子がない。
特別なミサのため、今日はもうないと思い込んでしまった。
内陣を出て、ラ・モレネータ、黒いマリアの像の宝珠に触れるため、教会の前の広場まで延びている列に並んだのだが、諦めるのが少し早すぎたようだ。
列がようやく回廊まで進んだ時、美しい歌声が流れてきた。
急いで内陣に戻ったが、相も変わらぬ人混みでなかなか前に進めない。
やっと姿が見えるところまで着いた頃には司教団は祭壇を去り始めていて、美しいハーモニーも終わりに近づいていた。
「もう少し辛抱しておれば」と思うものの後の祭り。
「少しでも聴くことができたのだから」と気持ちを宥め、ラ・モレネータの列に最初から並び直す始末。
遅々として進まない列に、今度は辛抱強く並んで待ったのだが、あゝ、このちぐはぐ振り・・・。
情けなくも悔しくも、マリア様の丸い宝珠に触りながら、腹立ち紛れに、「これでご利益がなければ」とつぶやくペトロに、「そんなこと、思っただけで罰が当たるわよ!」という誰かの声が聞こえたような気がして、辺りをきょろきょろと見回すのだった。
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