ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

「ゲルニカ」 ‐ 再びのトレド

2012年12月21日 | スペイン/ポルトガル

 乗ろうとしたAVE・高速列車の切符の発売は終了。
 次の列車を待たねばならないのだが、新幹線のように頻繁に運行されている訳でもなく、昼前の便まで待たなければならない、というのが前回。

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  アルフォンソ12世通りとアトーチャ通りが交わる大きな交差点(左/07年)
 その一角にアトーチャ駅(右/07年)があります
 この駅、道路を挟んで階下で近郊線のセルカニアス駅とAVEのプエルタ駅に分かれています

  結局、次のAVEにしたのだが、トレドへの切符売り場は既に長蛇の列。
 それにしてもやっとこさという感じ、呆れるほど長い時間をかけて切符を売って?貰えた。

 で、発車までかなりの時間が余ってしまった。
 こうなれば発想の転換、帰りに寄る予定だった 「ソフィア王妃芸術センタ」に先に行くことにした。
 この辺が 「個人旅行の融通の利くところ」と威張れば、「ツアーだと、切符一枚にこんなに時間とられることはないよね」と、失礼なことを誰かが言っている。

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  駅の西側から構外(左・中/07年)に出ると右手にソフィア王妃芸術センタ(右/07年)が見えます

 スペイン内戦さなかの37年4月、フランコ将軍を支援するナチス・ドイツよって史上初めての無差別空爆を受けた北部バスク地方の小さな町ゲルニカ。

 この惨事を知ったパブロ・ピカソ(1881-1973/スペイン・キュビズム)は、同年に開催されたパリ万博のために依頼されていた作品のテーマに 「ゲルニカ」を取り上げ、僅か1ヶ月余りで描き上げた。 
 それは、戦争への激しい怒りと生命の尊さを全世界にアピールするものだった。

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  ピカソが怒りを込めて描いた 「ゲルニカ」が架かっています
 
キャンパスに工業用絵具ペンキによって描かれたモノトーンの大作(350cm×780cm)です

 全体の構成は 「キリストの磔刑」をイメージしたという解釈もあるようだが、人間の目をした牛の顔、窓から室内に首を突き出す人物など、奇妙なデテールもあり、要は、この絵を見た人それぞれが、さまざまに解釈すればよいのだろうと思った。

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  時間も押していたので、ソフィア王妃芸術センタではピカソをのみを堪能
  アトーチャ、セルカニアス駅(左・右/07年)に戻りました

 鉄道を利用する時は、フランス国鉄が運営する 「レイルヨーロッパ」という優れもののチケット販売サイト、最近日本語版もできたようだ。を、利用して事前に確保するのだが、まさかマドリードとトレド、例えれば大阪と京都という近郊路線。に、こんな手古摺るとは思いもしなかった。

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  セルカニアス駅からプエルタ駅へ移り、手荷物審査を受けて待合室で待つこと数十分
 
時間が来ると待合室のゲート(左/07年)が開き、乗客は一斉にホーム(中・右/07年)に向かいます

 古都トレドまで30分ほどの列車の旅、いろいろとあったがAVEは静かにホームを離れた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.555

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1 コメント

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ご無沙汰しています。 (旅人)
2012-12-22 22:27:46
ご無沙汰しています。
トレドの旅、楽しんでいます。
ところで、ピカソの「ゲルニカ」、何年か前に観ました。
余りの大きさ、その迫力に圧倒されたことを覚えています。[E:foot]
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