ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

モンマルトル日記(三)

2010年07月04日 | フランス

 10××日(小雨)「モンマルトル美術館

 色づきはじめた葉が、小雨に洗われて鮮やかに見える。
 石造りの塀が続く石敷きの坂道の先に、小さな看板が遠慮勝ちに架かる館があった。

 21門扉越しに覗く小さな庭に、緑のアーチとベンチ。
 白い漆喰壁の洋館、モンマルトル美術館(写真上)は、訪れる人も稀で静かな佇まいにあった。

 17世紀に建てられたこの瀟洒な建物は、宮廷劇作家クロード・ドゥ・ラ・ローズの住居だったが、19世紀頃から画家のアトリエとして使われ始めた、と案内書にある。

 カタリナ は、ルノワールがここで、傑作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場(写真左/オルセー美術館蔵)いたらしいのね」と言う。                                                                            

 訪ねたときPhoto_2は、ユトリロやロートレックの作品が壁にあったが、この美術館、絵よりも、当時の画家たちの日常を見せる場所のようだ。

 かつてアトリエだったサロンには、小振りのグランド・ピアノが置かれ、隣には小さなカウンターが設えられたバーがある。

 この手のものに無縁のペトロ でさえ、「煙草をくゆらしながらグラスを傾け、芸術談義に花を咲かせていたのだろうかと想像を巡らす。                                                                                                                  

 2_3Photoサロンからは、今のパリに残っていることだけでも驚いてしまう葡萄園が、この時期をもってしても緑を瑞々しく見せて広がる。

 モンマルトル美術館の静かな落ち着いた時間の後、芸術家村の面影を今でも残す一角、テルトル広場へ向かった。                                                                         

 風景画を売る自称?芸術家、達者な日本語で話しかけてくる似顔絵描き、それをひやかす観光客、小雨もものかは結構な賑わいだ。

 この頃には雨も小降りで、ようやくあがる気配だったが、敷石の道も白壁をつたう緑(写真下左)もしっとりと濡れていた。
 ユトリロや荻須高徳らが好んで描いた路地(写真下右)など楽しみながらサクレ・クール寺院へと歩いた。(またさらに、続く)

 ※「モンマルトル日記(四)」へは、<コチラ>からも入れます。

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