「ない」があたりまえのところに
何かが現れて
それが悪さをするのなら
元の「ない」に戻ってほしいと考える。
だけど、どんなに頑張ったとしても
元の「ない」に戻ることがないのなら
「ある」があたりまえになったということ。
「ない」にならないのをわかっている
「WITH コロナ」は、「ある」が前提。
「ある」の数を数えて
「ない」にならない理由探しをするのは、「ない」が前提。
新しい生活様式って
「ある」が前提だったはずなのに・・・
「ある」が前提をどう受け入れたらいいかわからないからって、
「ない」にならないものを
「ない」になるかのように
「ある」の原因探しをするから
「コロナいじめ」とか
「コロナ差別」が起こってしまうんだと思うのです。
「どうしよう」が「こうしよう」にかわるブログ
ひとりひとりが輝く社会の実現を目指す法人