なんか大それたタイトルですが、あまりいいタイトルが見つからなかったのでとりあえず書いてみました。思想ってほどじゃありません。
脱JWした後、私がどんなことに感化されたりされなかったり、また考えなおしたりを繰り返したか
今ももちろんその途中ですが、カテゴリーを設けて書いていきたいと思います。
自分なりに試行錯誤して何かを見つけようとしているのですが、同じような事をしているみなさんのご意見も聞きたいのと、良いものは「こんな考えもある」とてっとり早く紹介してみたいのと、脱JWした皆さんから教わった良いことをきいてもらいたいのと、いろいろ理由はあります。
JWでいたという経験で私が一番大切に思っているのが
「絶対疑いのない真実だと思っていたものにも正反対の裏があることがある。」
という側面です。
具体的に言うと、重力の法則くらい確実だと信じていたエホバの証人の教理が間違っていた、ということですね。
すっかりあっさり、本当に簡単にだまされていました。
もう騙されないぞ!という気持ちと「これだけ痛い経験をしたのだからもうだまされることはないだろう」という
おごりの気持ちもありました。
が、それには当時気づきませんでした。
脱JWした当時は「エホバの証人の言っていることは真赤な嘘」と100%信じていたのですが、
今思うとJW時代と同じ思考回路になってますよね。
100%正しいものがあるのかどうか。あったとしても自分が簡単にそれを見つけられる(ほど頭がいいと)うぬぼれないほうがいい。
と最近はやっと気づきました。
たとえば「聖書も価値のない、ただの本だ」とJW教理を信じなくなった時点で簡単に結論づけていましたが
なんでも100%決めつけるのは危険かなと思うのです。
逆に脱JWしてから別のすぴりちゃるな世界や世界観に、また100%信頼を置くのも、
慎重にしなければ。と思います。
なにせ、以前30年くらいも自分にだまされてましたからね~。
これで偏った結論にかたまると
学習しないひとだな~。
ということになるので。?
いつでも「別の見方」を持っていたいと思います。
でも実際には一つの見方に凝り固まってしまう傾向がある方です。えへ。
※別に聖書の神聖さを考えなおしているわけではありません。
でも、創世記の記述を「宇宙人が人間を作った時の記述」と考える思想なんかは面白いな~なんて思います。
※カテゴリー名を「脱JW後の悩みと導き」に変えました。導きより悩みが多いので。(笑)
脱JWした後、私がどんなことに感化されたりされなかったり、また考えなおしたりを繰り返したか
今ももちろんその途中ですが、カテゴリーを設けて書いていきたいと思います。
自分なりに試行錯誤して何かを見つけようとしているのですが、同じような事をしているみなさんのご意見も聞きたいのと、良いものは「こんな考えもある」とてっとり早く紹介してみたいのと、脱JWした皆さんから教わった良いことをきいてもらいたいのと、いろいろ理由はあります。
JWでいたという経験で私が一番大切に思っているのが
「絶対疑いのない真実だと思っていたものにも正反対の裏があることがある。」
という側面です。
具体的に言うと、重力の法則くらい確実だと信じていたエホバの証人の教理が間違っていた、ということですね。
すっかりあっさり、本当に簡単にだまされていました。
もう騙されないぞ!という気持ちと「これだけ痛い経験をしたのだからもうだまされることはないだろう」という
おごりの気持ちもありました。
が、それには当時気づきませんでした。
脱JWした当時は「エホバの証人の言っていることは真赤な嘘」と100%信じていたのですが、
今思うとJW時代と同じ思考回路になってますよね。
100%正しいものがあるのかどうか。あったとしても自分が簡単にそれを見つけられる(ほど頭がいいと)うぬぼれないほうがいい。
と最近はやっと気づきました。
たとえば「聖書も価値のない、ただの本だ」とJW教理を信じなくなった時点で簡単に結論づけていましたが
なんでも100%決めつけるのは危険かなと思うのです。
逆に脱JWしてから別のすぴりちゃるな世界や世界観に、また100%信頼を置くのも、
慎重にしなければ。と思います。
なにせ、以前30年くらいも自分にだまされてましたからね~。
これで偏った結論にかたまると
学習しないひとだな~。
ということになるので。?
いつでも「別の見方」を持っていたいと思います。
でも実際には一つの見方に凝り固まってしまう傾向がある方です。えへ。
※別に聖書の神聖さを考えなおしているわけではありません。
でも、創世記の記述を「宇宙人が人間を作った時の記述」と考える思想なんかは面白いな~なんて思います。
※カテゴリー名を「脱JW後の悩みと導き」に変えました。導きより悩みが多いので。(笑)
脱jwしたての時は何も信じられなくて辛かったことを思い出します。信じるのにも勇気がいるんですよね。
自由になっているはずなのにどこかはやっぱり縛られているんですかね・・・
興味深い・・・。2001年宇宙の旅のモラリスですね・・・。
赤ちゃんがお母さんの言いなりに躾られると同じに、自分の意見を言うな。疑問はホンからみつけろ。分からない点は発表が有るまで黙っていろ。
無駄口は禁令、自由に行動するな。組織の提案、取り決めないのことしかするな。集会、再訪問、個人勉強せよ、世のホンは読むな、世の友達とは付き合うな。娯楽は制限付、24時間こてがJWの基本の生活です。さて、クソも面白くない、これらに、病めるとホットはしたが、呪縛。
先日久し振りに試してみたのです。
やっぱり投稿できなくて・・・
今いたずらに、どうせ出来ないと思いつつ
ああああああって・・・
どう言う事でしょうか届いてしまったんです。
組織はサタンを買い追い出しもしないのは、善と悪を信じやに示し組織の正しさを立証しる道具としているみたい。そのサタンが善人ぶって野外奉仕してるんだから、憎しみと組織には信頼なんかあるはずもなく、いらだたしい。優柔不断の組織、いい子ぶってさ、本当のことはいわず、ただ、死ぬのをまっているのだ。「死人に口なしってことさ」
予言は見事はずれ、メンツがない、創世記なんかも
口述をモーセが記録したもの。誤りが多く信頼できるものじゃない。信者に誤って解散する日が近い。
不寛容のキリスト教よ。不和だけが残った。
完全に何事も出来るようになるなんて考えられないしょ。組織の本音は何なのだろう。?意味不明。
大会ホールを家にたいに造り皆で集まり、聖書の言葉を使い会話する、個性はなく、同じコトバ、
不完全のまま死んだほうがまし。
そう、JWから抜ける本来の目的は「自由」(私は)
なのに思考が自由じゃない私がいることがあるのです。
みんなのブログとか読ませてもらって、んで「あ~こういう考え方いい」とか刺激されてだんだん思考がほぐされてきたけど・・・まだまだかたいです。。。
絶対 創造者はいるはずだから 何か真理と呼べるものは あるはず……だけど 騙されないぞ!って
時間とともに 神と真理のない状態になれてきて 模索しつつ暮らすことが普通になりました。
ただ 最近は あれだけ大掛かりな陰謀と呼べる組織があるんだから……今の世界観も なにかに巻き込まれてないか……よく観察するようになったかなぁ?
でも 今は 家族親族を 組織を考えることなく愛せることは 幸せかな♪