わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
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グッドアンセスター

2022-09-30 19:01:04 | 地球とか命とか
以前のこの記事で、「近いうちに読むつもり」と書いた本を読んだ。1年前に出た本なので、読まれた方もいると思う。


読み終わって思わず唸ってしまった。こういうのを「我が意を得たり」と言うのかな。読み終わってみたら付箋紙ペタペタw。
「この副題からして重いね」(byママ) 確かに「わたしたちは『よき祖先』になれるか」って、めちゃくちゃ重い。

いきなり、目次の裏のページに書いてあることがグサッときた。
AM3:23
眠れずにいる。
私の孫のまた孫が、夢で私に問いかける。
地球が壊れていこうとしているときに、
あなたは何をしていたの?
ドリュー・デリンジャー
この本は、環境保護だとかSDG'sだとか地球を大切にみたいなこととか、そんなことを上っ面だけで言ってるわけではない。
現代に生きる我々が、未来の人類にとってよい祖先になれるのかを問う。そして、我々は地球の資源や環境等を、その回復力を超過して消費し、未来の世代が享受すべき権利まで搾取しているので、このままでは良い祖先にはなれないと言う。では、それを避けるためにはどう考え、何をすれば良いのか。こういったことが、歴史、社会、経済、科学、哲学、宗教、芸術等々の多方面から、現実的かつ理論的に語られている。


よい祖先になるために、最初から最後まで貫かれている主題が、本の帯にも書かれている「短期思考」から「長期思考」に変わらなければダメだということ。
私たちは病的な短期主義の時代を生きている。政治家たちはせいぜい次の選挙、最新の世論調査やツイートしか見ていない。企業は来期の四半期報告書や株主価値を上げるための絶え間ない要求の奴隷と化している。市場はアルゴリズムがミリ秒単位で操る投機的バブルで暴騰と暴落を繰り返す。地球温暖化により生物が消滅する一方、国々は国際会議のテーブルで目先の利権をめぐって言い争う。インスタントな満足に溢れた世界で、私たちはファストフードやメッセンジャーや「今すぐ購入」ボタンの過剰摂取状態にある。
(P.10)
そしてこれ、著者からのメッセージ(字幕使えます)。
先に引用したことは、著者がこの映像の最初でも話している。

「我が意を得たり」と思ったくらいの本なので、納得することしきりだった。
もちろんこれだけじゃないけど、例えばS字曲線のこと。

S字曲線は、アリの巣の成長やがん細胞の増殖、森の成長や子供の足の発育など、生物界のあらゆるところに見られる。このようなパターンは人間のシステムでも同様に広まっており、帝国や経済、独裁国家や民主主義国家、社会運動やファッションの流行など、これらすべてが最後にはS字曲線の論理の前に屈することになる。
(P.144~)
儂も以前に、微生物の増殖曲線として、このブログにも書いたことがある。生物で起きることは人間でも必ず起きる。なぜなら人間も生物だから。人間の営みだって同じこと。この世界に永遠なんていうことはあり得ない。これは仏さまの教えでもある。

ただし、この本に書いてあることで一つだけ「違うんじゃね?」と思ったことがある。
自分たちの祖先を振り返ってみると、植民地時代の人種差別、未だ多くの国に残る家父長的振る舞い、化石燃料をベースとした産業システムがもたらす環境への影響なのど、引き継がずに来られたら良かったのにと思うことがたくさんある。
(P.100)
この、「人種差別」や「化石燃料をベースとした」というのはそうだと思う。でも、「家父長的振る舞い」は、引き継がずにどころか、「この先もずっとそうあるべき」、あるいは「そういう時代に戻すべき」などと思ってる人が、意外と少なくないんじゃないかと思う。特に、日本の“古い政治家”に多いんじゃないのかな? 儂は、まずはこういう方達に考えを改めていただくか、あるいはご退場願わないとダメだと思ってるんだけどね。

儂、結構以前から「最近の世の中って、あまりに目先のことしか考えてないんじゃないか?」ということを思っていた。でも、じゃあどうしたらいいのかというところまでは、あまり考えていなかった。だからこの本はとても勉強になったし、ほとんどのページに「そうなんだ!」と思うことがあった。
付箋紙を貼ったところだけでも全部引用したいくらいだけどw、さすがにそうもいかないので、是非とも、できるだけ多くの方に読んでもらいたいと思う。
そのために、少しは参考になるかなと思うので、以下のサイトを貼っておく。
さらに、以下には翻訳者の話が載っている。翻訳者自身はこんなことも考えてるんだということがわかって、これまたとても考えさせられた。
「good ancestor」ではなく「better ancestors」ではないのかと。

人間はこの地球という惑星の上で生きてるわけで、この地球が壊れれば当然人間も壊れる。ほとんどの人はそれをわかっていると思う。そして、この「壊れる」という意味には、化石燃料を始め、人間が生きていくために必要な様々な資源が枯渇することや、あるいは異常気象なんかも含まれる。多分そこまで考えてる人も少なくないと思う。
ただ、「人間以外の生物が減ったりいなくなったり、あるいは逆に増えすぎたり」ということも含まれること、そして、それは多くの場合人間の営みが原因だということまで考えてる人が、はたしてどの位いるのかなと思う。あるいは、考えてはいるけど変えられないということなのか。
生態系のバランスが崩れ始めれば(すでに崩れ始めているかも)、人間だってタダじゃ済まない(すでに済まなくなってきてるかも)なんていうのは当たり前のこと。
でも、「人間は他の動物とは違う」、「人間は地球で最も高等な動物」、「地球は人間のもの」などという愚かな考えを捨てられない人は、この当たり前のことがわからなかったり信じられなかったりするんだろう。ホント、人間の知恵って素晴らしいけど情けない。

と、儂、今までも何度かこういうことを書いてきた。でも、この本を読んで少し考えが変わってきたこともある。
これまでは、「人類が滅びるのは自業自得だし、その方が地球のためかもしれない。」とまで思っていた。でも、この本を読んで、「まだ見ぬ人類の子孫が生まれる権利や生きる権利を奪う権利なんて今の人類にはない。」と思った。そしてさらに考えてるうちに、もしかしたら現在と未来を区別すること自体がおかしいんじゃないのかなと考えるようにもなった。ただし、頭の中ではまだいろんな考えがグルグル回ってる状態なので、もう少し整理したい。
それと、今までは環境保護運動とかそういう団体とか、「目的は正しいと思うんだけど、なんだかなあ。。。」と思ってた。でも、これも少し違う考えになってきた。

「そんな先のことより目先の問題を解決する方がまさしく先だ。」と思ってる人も多いと思う。儂もそれを思う。この本でもそのことには触れていて、直面する問題を解決することはもちろん重要だと言っている。ただ、明確な回答は書かれていないなとも感じた。
でも、どうして「先のことか今のことか」の二者択一じゃなくちゃいけないのか、 なぜ“両方”じゃいけないのだろうか。直面する問題を解決しつつ長期思考を持つ、これを目指せばいいということじゃないのかな。さらに、先に書いたように現在と未来を区別して考えること自体がおかしいと考えれば、こんな問題もないんじゃないかな。

今日はこの本を紹介したいと思って書き始めた記事なので、これらのことはまた別の機会にでも書こうと思う。


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