ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
見た目問題当事者としての情報発信中!

#あたしお母さんだから が ザワザワ

2018-02-09 13:46:38 | 日記・エッセイ・コラム
ご存知方も多いでしょうが
#あたしお母さんだから が、かなりザワザワしていますね。以前によく似たオムツのCMも炎上していましたね。

なんでザワザワするのかなー?って考えてみて個人的に感じたことを少しまとめてみます。

●お母さんを神格化し過ぎ

人は誰しも子どもを授かった瞬間から母になるのですが、その温度差は個人によってまちまちです。歌に出てくるような何もかもを犠牲にして、母親をすることが一番と考える人もいるでしょうが、昨今の価値観の多様化により、そこまで一途な母親にはなれないと違和感を感じてしまう人も多いのかも知れません。

母親である前に、一人の女性として、社会人として、または他の何者かでもあるわけですから。

●ただ、そうは言っても母親であるべき像が固定化それている

この歌詞のように、自分の自己犠牲の上に母親役をしなければならないかのような社会的なプレッシャーがまだまだ強いのは事実です。
それは子どもを持つと嫌と言うほど感じます。
まず、仕事を続けるかどうか、育休は取れるのかどうか、保育所に入れるのかどうか、子どもの体調が悪ければ会社を休むかどうかなどなど子どもを持った女性はありとあらゆる人生設計から日々の些細な出来事まで、取捨選択の連続となるのです。

この一つ一つの判断をたった一人でやらなければならないプレッシャーは相当なものです。

そして歌詞のように、多かれ少なかれ、母親というものは子どものために何かを選び、そして何かを手放さざるを得ないのです。

●父親の存在がない

これは多くの人が???と感じているポイントではないでしょうか。歌詞には父親は1ミリたりとも出て来ません。母と子どもで完結しています。
何をどうやっても子どもは女性だけでは産めない訳で、育児も本来なら父と母の共同作業のはずなのですが、父親は完璧に蚊帳の外ですね。いわゆるワンオペ育児なのでしょうか。
保育所から子どもが熱を出したと電話がある先はほとんど母宛と決まっておりますし、こと、育児に関しては、父親よりも母親の方にずーっと比重がかかったままです。これは子どもにとってもあまり良い影響があるとは思えないですね。

●わざわざ歌にして放送で流す必要ある?

かように母親の負担が大きい育児を、皆、何とか工夫しながら、時には失敗したなぁーなんて思いながら頑張っているのに、畳み掛けるようにこんな歌を流されたら、もういっぱいいっぱい頑張っている人はこれ以上何をどうやれと言うのか!と言われているような気持ちになってしまうのではないでしょうか。

●罪悪感との闘い

子どもを持つと仕事をしていても、していなくても、いや子どもを持たないと或いは授からなかった人も誰しもがある種の罪悪感を感じています。

仕事を続けている人にはそんな小さいうちから預けて子どもが可哀想と言われ罪悪感。

仕事を諦めた人は、社会との繋がりが途切れ、夫の稼ぎだけでやりくりすることに罪悪感。

子どもを持たないと決めた人やたまたま授からなかった人は、女性として本来ならやるべき出産をしなかった事に対する罪悪感。(少子化と叫ばれる度に世の中全体から責められているように感じる)

もちろん子ども以前に結婚していない女性もまた、相当なプレッシャーと罪悪感に苛まれています。
多分殆どの女性が人生のある時期にはそう言う気持ちになるのでは?と思います。

なのにあの歌詞はそう言う女性達がうっすらと認識している罪の意識に塩を塗るような作用をするのではないでしょうか。

その塩を塗られる感覚がザワザワの一因なのかなーと思います。

平成も30年に入り、人々の価値観も生活スタイルもこれだけ多様化してきている時代に江戸時代のようなお母さん像を押し付けられると不快な気分にはなりますよね。

どうでしょう?

ペパキャンの個人的なザワザワ分析でした。( ^ω^ )

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