日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄文化紀行(Ⅱ―7) 今帰仁村中央公民館の赤紫と闇

2007-05-26 14:14:46 | 沖縄考

建築家は誰しも「気になる建築」を持っている。
今関わっているプロジェクトを考える中で、見ておきたい建築は沢山出てくるが、何かの折にふと浮かんでくる建築があるのだ。
僕の心の奥深く、まるで澱(おり)のように澱んでいるのが`象設計集団`がつくった「今帰仁(なきじん)村中央公民館」である。

この建築は、象設計集団の沖縄での活動を、建築という形に結晶させたとして1977年の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。中心になった建築家大竹康市は受賞に際してこう述べている。
「私は今回の受賞をてれずに率直に喜ぶことにした。なぜなら報道で象設計集団が代表としてクローズアップされすぎてしまったが、本来は、これにかかわったすべての人々がもらうべき内容だからである」
全ての人というのは、建築家だけでなく、村民や役所・教育委員会の人々を指している。だから「おめでとう」とあいさつされると、こちらも負けずに「おめでとうございます」と言い返すことにしている、という。

建築は様々な制約を受けながらつくられる。当然の事ながらクライアントの意向があるし、予算や工期、土地や環境、それに建築基準法や都市計画法という法規もある。隈研吾さんに会ったときに、ここはこうできなかったの?聞いたら法規がね、と苦笑した。法規を何とかしたいという戦いを承知の上での建築家同士でしか通用しない会話だが、事実結構厳しいのだ。

さらに公共建築の場合は各部屋のおおよその面積配分も、予算との関係などもあってほぼ決められており、それをクリアしていかなくてはいけない。大竹さんはこの公民館を「大屋根分舎方式」と述べた。必要とされる部屋を取り、壁の無い半屋外の空間を屋根の下につくった。この部分は建築全体の半分にもなる。

「一見無駄に見えるこのスペースをよく村が思い切って設計させたものだ。これは村が偉い」と沖縄の大竹の友人が感嘆したそうだが、僕にいわせるとやはり大竹が偉い。役所主導ではなく村民共々一体になる建築活動をしてきた成果だからだ。
建築家であり、冒険家でもあり、教育者でもあった恩師吉阪隆正の薫陶を見事に受け継いだといってもいいのかもしれない。

コンクリートブロックを積んでつくったこの建築を大竹は、沖縄のたくましい石造文化に迫りたいと考えたと述べている。ふと沖縄を石造文化といっていいのかと疑問がわいてくるが、僕がどうしても引っかかるのは、今まで述べてきたようなことではなく「色」と「闇」だ。

この建築は緑の鮮やかな芝生の広い前庭に立つ数本の柱と、屋根を支える列柱に囲まれている。その柱が赤紫の原色に塗られているのだ。この赤紫は、足場材を屋根に組んで建築を覆い尽くそうとしたブーゲンビリアの色かもしれない。この赤と芝生の緑、強烈な補色関係。そして半屋外の闇、決して暗くは無く風の通る心地良い空間なのだが、あまりにも外が明るいので、僕のイメージは闇なのだ。その対比が心の底に留まっている。

沖縄文化を捉えようとするときに、ふっとこの色と闇が浮かんできてしまう。

僕はこの建築を沖縄文化研究の同行したメンバーに観てもらいたいと思った。何度も沖縄に訪れたことのある大学院生たちは、初めてみたこの建築に意表を付かれたようで何も語らない。
この半屋外で集会をやっていたおばさんたちに、この建築をどう思うか尋ねてみた。しかし彼女たちは「建築といわれたって!」と困ったような顔をしている。当たり前のように使っているのだろう。ところで沖縄での大きな課題、台風のときはどうするのだろうか。
さて誰も(大竹さんも)書いていないが、前庭の正面に木々に囲まれた墓がある。破風(家型)墓である。やはりここは沖縄だ。

象設計集団の沖縄での活動で知られているのは、この公民館と同じようにコンクリートブロックを多彩につかった名護市庁舎である。多くの市民に親しまれているこの庁舎のイメージ色は淡いピンクだ。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつも思いますが。 (moro)
2007-05-26 15:11:49
象設計集団の凄いところは、勿論吉阪隆正の流れを汲む設計のプランの素晴しさや、土着性を表現する手法もあるのですが、北海道をはじめ各地でワークショップを頻繁に開催したり、本当に地場に溶け込んだ設計集団だということ。これを強く感じます。
建築って! (penkou)
2007-05-27 12:47:37
建築ってなんだろうと、あるいは創る行為とは何か、ということをこの建築を観ると考えさせられます。
つくっていく経緯、その物語が大切なのか、使っていく経緯、それが建築なのかというようなことです。
果たしてこの建築は村民にとってどんな存在なのか、フラット訪れた「旅」だけでは見えてこないような気もしています。
でも赤紫と緑と闇、今でもちらついています。困ったことに(笑)

コメントを投稿