僕の書棚の何時でも取り出せる場所に「顔貌」がおさまっている。1988年にパルコ出版局から発行された、写真家田原桂一の撮った肖像写真集だ。表紙を開くと、闇の中に顔の半分だけに光を当てた建築家Ricardo BOFILLが現れる。闇といっても漆黒ではない。右下にかすかな光を帯びた、ボケた小さな物体が写っている。
9月26日の夜、建築家会館大ホールでのJIAトークで、田原桂一の講演を聴いた。チラシに書かれたタイトルは「光の彫刻」。
田原桂一は、写真を考えるときに欠かすことのできない類型のない写真家だが、一瞬だが田原は写真家だったと過去形で言った。氏と親しい建築家山岡さんも、氏を紹介するときに写真家とは云わなかった。
今では光の彫刻家であり、造園家であり、都市計画家でもあり、パリ市とフランス文化庁からの依頼によって映画作品「Cendres」を撮った映像作家、もしかしたら建築家といってもいいかもしれないという。
幼いときに祖父に連れられて歩いた杉林の、足元が覚束なくなる不安感と共に感じた、刻一刻と変化する木漏れ日の不思議さと、11才のときに見た、広島の原爆堂に残された石の壁面に焼き付けられた人の影に光のエネルギーを感じ取り、「光への旅」が始まったという。話しでは異常なまでに「光」にこだわった。
僕が会場から質問したのは、写真「顔貌」(プロフィール)と、田原桂一の考える「写真とアート」の関係だ。僕がずっと気になっていたことでもある。
「プロフィール」シリーズは氏の代表作の一つだが、講演で氏は、フランス語も英語も話せない21才のとき渡仏し、毎日煤で曇った屋根裏部屋の窓から空や屋根を見て過し、それを写真に撮り続けたが、ヨーロッパを理解するために、アーティストを撮ろうと思ったと述べた。
「顔貌」を見続けてきた僕が気になっていたのは、田原桂一は「人を撮ろう」としたのではないのではないかということだ。つまり人に興味があるのではなく、写真の素材として人を撮ったのではないか、それもアートとしての写真として。写真とアートの関係は、結構な「命題」なのだ。
僕が写真を撮ることに魅かれるのは、人を視たいと思うからだ。建築を撮るのも、記録という側面はあるとしても、ふと僕は人の気配や軌跡を探っているのだと感じることがあるのだ。写真家という「人種」は、人を撮るのだとどこかで僕は思っている。
しかし彼の答えはやはり、ヨーロッパを理解するために人を撮ったと言う。
そうだろうか?でもただの人ではなく、アーティストを撮ったところに、若き日の氏の思惑があるような気がした。
氏はモホリ・ナギやマン・レイを曳きだし、こともなげに写真はアートだと述べた。
僕は、「田原さんは一廻り僕より若いが、田原さんの上の年代には、ロバート・フランクやウイリアム・クラインが現れて写真の世界に大きな刺激を与えた。日本ではその影響を受けて、僕と同世代の中平卓馬や森山大道を生むことになったけれど、彼らは写真をアートとは考えなかったですよね」と突っ込んだ。「確かに其の世代の写真家は、報道という写真ジャンルに惹かれたが、彼らも始めは写真をアートとは考えませんでしたね、クラインは親しい友人だが、でも彼も変わっていった」。
興味深いのは、氏が紙焼きでは光を捉えられないと感じ、石に乳剤を塗って焼き付けたり、光は透明なので透明なガラスに写真を焼き付けることにトライしたことだ。それが写真を超えた活動につながっていく。
でも僕は田原さんは写真家だと思いますよと、畏敬をこめて続けた。「でもね、銀塩といっても今の印画紙にはほとんど銀の粒子は含まれていないのですよ。富士フイルムと相談したが、今の技術では(需要と供給の関係があるのかもしれないが)昔のような印画紙はつくれないといわれてしまった」。これでは「光を写し撮れない」といいたいようだ。
そうなのだ。氏の「窓」や「都市」のシリーズの、あの得も云われない粒子の「粒」がなくては、写真家田原の求める光が捉えられないのだ。
パリの屋根裏部屋で、仕事もなく、といって日本に帰ることもできない日々を過した若き日、じっと我慢して吸収することだけがあった日々。それでもいいのではないかという、若い人へのメッセージも、その吸収する日があったから傑出した「窓」シリーズが生み出されて今ある田原氏のコトバとして説得力がある。
氏は率直にいらいらしているといった。なにかを模索しているのだ。印画紙に定着できない写真家田原桂一の姿がそこにある。
しかし氏は「光」を語ったが、光の生み出す「闇」には触れなかった。
(お手紙には改めてお返事させて頂きます。)
早ければ明日、鎌倉に出陣します。取り急ぎ報告と御礼まで・・・。
取り急ぎ・・報告はmブログにて。(汗)
鎌倉近美で、レーモンドとノエミ展をご覧になったのですね。建築の魅力と面白さ、夫婦の存在の不思議さを受けとめたと拝察します。建築ってまさしく文化なのだということを、広く社会に伝えたいものですね。実は田原桂一氏の「窓」や「都市」シリーズは、建築を撮っているのです。田原桂一というアーティストの視る建築。不思議な感慨を覚えます。
田原桂一さんを知りたくて検索していましたら、
こちらのブログを拝見いたしました。
闇の無い光の彫刻・・・・。
闇(影)が無いのに、光をどうやって表現するのかしらと思い、大変興味深く読みました。しかし、最後、闇については語られなかった。。。と言う事で残念でした。
田原桂一さんを知る良い資料や図録などがありましたら、教えて下さい。
12月とお忙しい季節と思いますが、
宜しくお願い致します。
思いがけないコメントをしてくださいましてありがとうございます。田原桂一さんのことを書いたのは何と3年前になるので・・
つたない田原桂一論ですが、この時の田原さんの発言にはそれなりに刺激を受けました。
僕も気になったのですが、田原さんが光のこだわっていて、表裏一体である「闇」にはほとんど関心を示さなかったのが面白く思い、それが田原桂一の美学なのだろうと感じたことを思い出しました。
僕の持っている写真集を改めて見てもそう思います。それが写真だけでは自分の今の課題、光の美学を表現するときに、写真ではなしえない(さんざんトライしてきて)と考え、建築や、彫刻のような物体に向かっていったのかもしれません。
ところでその後の田原桂一の活動を僕は把握していなくて、お役にたてるようなコメントを発することができません。とても残念なのですが!
むしろコメントを拝見して教えていただけないものかと思ったりしています。