日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

冬日の一日、猛雪に

2016-01-24 23:25:50 | 添景・点々
本棚から取り出して事務所に行く小田急電車の中で読み始めたら、面白くてたまらなくなったのは、角川文庫、開高健の「白いページ 1」と題したエッセイである。その、最後のページに、読み取りにくい、のたっくった鉛筆書きによるメモがある。奥付を見るに、おそらく35年ほど前になる昭和54年(1979年) 頃の僕の走り書きだろう。

「…と書いてくると、それがどうしたのといわれ そうかと まあそうだなと納得するが それがどうしたといい返したくなる…」
と書き写してみたが、…がないものだから、何を書いて何を言いたかったのか、つまりなんのことやらさっぱりわからない。
おそらく小田急線の電車に乗って開高のこのエッセイを読んでいて、何かを思いついて、多分当時書いていた文章(エッセイ)に後で付け加えようと思ってメモ書きしたのだろう。
その開高は1930年の生まれで10歳年上だったが、なんと58歳の若さで亡くなった。

懐かしき深田祐介氏(一昨年の7月84歳で死去)の書いた絶妙な解説(あとがき)に、雑誌「潮」に昭和46年1月号より47年10月号まで連載された、とあるので僕の36,7歳のときの作品。この歳になって再読(再々読!)すると、一見諧謔に満ちたといいたくなるものの、その懐の深い人の生きることへの好奇心に満ち、慈しむように述べていくその心根は、深田氏が述べる「裸の知覚と豊饒な表現力が結びついた詩人としての資質の顕現」という一文にすべてが捉えられているような気がしてきた。とは言え、それから数十年経た僕が未だに心打たれるのは何故だろうとふと考え込む。

ところで昨夜、上記のことなどちらりと話題にし、雨の予報が外れた小田急線3駅先の伊勢原駅の近く、`竹中`と言う酒場で、久し振りにmさんと旨い料理に舌鼓を打ちながら、一杯やった。
四方山話に花が咲き、ふと気になっていた二人の盟友札幌のmoroさんに電話をした。この雪国の男は雪を苦にせず、元気溌剌の様にホッとする。

それにしても九州、山陰地方の猛雪、どうしたことか!

<写真 晴天になった今日の海老名市厚木駅・・僕の住んでいるまち>