日々・from an architect

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明建祭(続Ⅱ) 震災で見えた 個から全体へ・地方と都市

2011-06-05 20:03:04 | 建築・風景

手元にスクラップをした東京新聞がある。新聞配達人が間違って郵便受けに投げ入れたようだ。
読み返してみて、舞い込んだといいたくなった。被災地の復興に関しての僕の懸念を代弁している。
5月12日夕刊のコラム「紙つぶて」。
内橋克人(経済評論家)の書いた記事のタイトルは「復興ファシズム」である。

16年前に起きた阪神大震災の1ヵ月後、臨時市議会で可決された「震災復興緊急整備条例」で神戸市が出した都市計画事業は、住民の反対や批判で難航していたもので、震災で打ちのめされているこの時に実現させた。
区画整理地域にロープを張って元住民の立ち入りを閉め出し、不幸な震災を好機として幹線道路計画、都市計画整備計画が一挙に強行され、住民にとっては第二の大災害だと長文の抗議書が記録されているというものだ。
今回の大震災で、復興会議の某氏がこの「16年前を成功モデル視」していると、内橋克人は警戒する。

明建祭シンポジウムではこのコラム記事のあったことを失念していたが、復興計画について`国際コンペ`をやるべきだと言う某(としておく)建築関係者からの論調が新聞掲載されて、危機感をもった。
主に東北地方の農漁村地域の人々の「生きること」、つまりコミュニティ構築と復興は切り離せなく、その「場」を汲みとり得なくては悲惨なことになるからだ。

明建祭シンポジウムのテーマは「建築を拓く・明治大学を巡って」。
時代を切り拓く、それにトライしている建築家と彼らの作品を通しての問題提起を語り合おうと思った。
パネリストの篠田義男さんは6年後輩だが、井口浩さんはその14年後に卒業、中村拓志さんは更に14年も若くてなんとまだ30代、でも羽田空港(東京国際空港)のマスターアーキテクトとして活躍している次代を担う建築家である。
興味深かったのは、PPで発表された作品群に見る共通項が「自然環境と建築」、そして(当然の事とはいえ)「人」だった。

PPで新宿西口の小田急デパート外壁の姿が映し出され、篠田さんがこの建築を担当(チーフは坂田誠造氏)をしたのかと感慨を覚えた人もいたと思う。そして日頃見慣れている改修された小田急線の幾つかの駅舎の屋根などにガラスを多用して自然採光と空気の流れを検証したシステムや、井口さんがNPOまで設立してトライしている(僕には実験していると見えるのだが)地球環境問題と社会、そして中村さんの、ここまでやるのと思わせられる樹木と建築との触れあい、言い方を変えれば興味深いせめぎ合い、そして練り込んでいくほどに形がバナキュラーっぽくなり、つくるのだけど「生まれてくる」と言いたくなる面白さを、進行役を務めながら指摘したりした。

そして僕が彼らに投げかけたのは、震災で見えてきた僕の問題意識、コミュニティの崩壊・構築と建築家の役割である。

明大建築学科には、創設時より神代雄一郎教授がいて、僕が卒業した後になる60年代の後半、各大学で取り組むことになった「デザインサーベイ(集落などの実測調査)」に触れ、神代先生は民俗学者ともコンタクトを取りながらコミュニティに踏み込み、その成果が「日本のコミュニティ」(鹿島出版会刊)に集約され、建築界と共に社会に刺激与えたことを紹介しながら、3月11日の震災を経て、建築家としてこの問題にどうたち向うのかと問うた。
僕は、青森の建築家が発行している雑誌「Aハウス No.9」(2010年7月発行)に「神代雄一郎の津軽十三」というタイトルで、僕の原風景ともいえる天草で小学生時代を過ごした様などを織り込んでこの問題を書いたことがある。

暫し考え込んだ篠田さんから、難しい問いかけだが「個と全体」を考えなくてはいけないと言うことでしょうという答えを得た。数多くの「公共建築」に取り組んでいる篠田さんのこの一言は重い。
そうなのだと、僕も考え込みそうになった。
篠田さんは坂倉建築研究所のOBとして活躍しているが、震災に対してもJIAの災害対策委員として建築学会や文化庁との橋渡しをしながら建築界の一分野を率いている。若い世代に対して都市や社会を構築していくときの建築家の役割を示唆したのだ。

僕はこの震災によって見えてきたのは都市と田舎(どういう言葉を使えばいいのかと迷うが、過疎と言われていても自然と向き合いながら共同体システム・コミュニティ・の中で生計を立てている、都市生活規範では括れない地域)の課題、つまり大都市論理で全てを考えてはいけないと言うことだと改めて思い、この震災で都市から見ると埋没していたと思える「地方が見えたということですね」と括った。

明建祭で、世界を見ることと、日本の中の一地方を考えることの、両方の課題が浮かんできたと考える。
小、中、高、大と学んできて、どれしも先生に学んで友人が出来、人生を豊かにしてくれたが、とりわけ最終学校は、社会を生きる人生に影響を与える職業を選択したことで意義深い。

さて懇親会。弦楽合奏をバックに肩を組んで歌う校歌は格別だ。
大勢のOB、OGやサポートしてくれた現役学生、理事長、交友会長、学長などと共に僕も身体を揺らしながら「白雲なびく・・・」と大声を上げた。

<写真 懇親会でのコンサート、最後に肩を組んで校歌をうたう>