日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

イザイホーを撮った比嘉康雄(NHK日曜美術館)

2010-12-19 12:00:16 | 沖縄考

先週のNHK日曜美術館「沖縄 母たちの神~写真家比嘉康雄」を見ていて、あっと思った。動きを撮っても静謐なと言いたくなる比嘉康雄のモノクロ写真の合間に、祭祀イザイホーの映像が映し出されたからだ。祭祀をつかさどる神女となる久高島の女たちの動きは思いがけず軽やかで、僕がずっと描いていたイメージが覆された。

斎場御嶽(セイファーウタキ)から見る久高島は神の島。島の女性はニライカナイからもたらされた火をつかさどる役を担い、首里王朝とのむすびつきも深かった。でも12年に一度行われてきたこのイザイホーは1978年に行われた後、過疎化と指導する神役の不在などの理由で中止されている。

沖縄読谷に住み込んで調査と研究に没頭している明大後期博士課程に在籍しているN君に、このテレビ番組を見たかと電話した。見てないと一瞬口ごもった彼は、来年の1月10日まで沖縄県立博物館・美術館で行われている比嘉康雄展「母たちの神」展のシンポジウム(12月5日)で、放映された映像(映画)を見ていて、話が弾んだ。聞くに、多分同じ時に撮られた映像だ。

N君の研究テーマは、米軍基地で分断されている読谷(よみたん)の、それでも琉球時代から築かれているコミュニティ(たとえば御嶽に滞留する神霊を中心としたシステムという言い方も出来るかもしれないが、それだけでは多分捉えきれないのだろうと僕は思う)の検証である。
ウチナンチュー(沖縄生まれ・沖縄人)に同胞として認められなくては得られない、又ウチナーグチ(沖縄語)でなくては理解し得ない伝承を聴き取るためには時間が必要だ。かれは写真家比嘉豊光さんとの縁ができて、読谷のアメリカハウスに住み込んで既に3年にもなる。 
研究者って凄いと彼と話していていつも溜息が出、生活できるの?なんてついつい聞いてしまうが、まあ何とかなっているようだ。

さてこのTV番組を見ながらふと思ったのは、何故僕が「イザイホー」に魅かれるのかという自問である。イザイホーだけでなく宮古の「ウヤガン」にも惹かれ、この祭祀の行われる狩俣の名を聞くと、明大文化人類学の院生や渡邊欣雄先生と訪ねたこの地の様が浮かんできて胸が騒ぐし、沢山ある聖地・御嶽を望む度に結界を感じて身を正すことになるのは何故だろう。自問はおこるがなかなか自答が出来ない。

ところでこの「沖縄 母たちの神~写真家比嘉康雄」は今夜(12月19日)8時からの日曜美術館で再放送される。比嘉康雄さんは2000年62歳で亡くなった。一度お会いしたかった。

<写真(比嘉康雄撮影) 琉球弧 女たちの祭り(朝日新聞社) 神々の古層3(ニライ社)より>