日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ロバート・B・パーカーとディック・フランシスのいること

2010-03-04 12:50:18 | 日々・音楽・BOOK

大男の探偵と出会ったのは1970年代、何と僕はまだ30代だった。彼は僕にこんな自己紹介をした。「名はスペンサーだ。サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ。<タフ>という見出しの項にな」

そのスペンサーにも、相棒の黒人ホークや刑事クワーク、そして何よりも残念なのは精神科医スーザン・シルヴァマンにももう会えなくなったことだ。生みの親ロバート・B・パーカーがこの1月18日に亡くなった。でもディック・フランシスがまだいるから良いと思った。

ところがD・フランシスが、カリブ海英領ケイマン島の自宅で、老衰のために死去したと2月14日家族が明かし新聞で報道された。89歳だった。ため息が出る。
D・フランシスはR・B・パーカーより一回り(12才)も年上で、執筆の協力者だった妻を亡くした後筆を折っていた。近年次男フェリックスの協力を得て共著という形で2本が書かれ、つい最近も出版された42作目の長編「拮抗」を読んだばかりだ。英国エリザベス王皇太后(クイーンマザー)の専属騎手として走った世界最高峰の障害レース、グランドナショナルで勝利目前、ゴール前で落馬した悲運のジョッキーだったとして知られているが、リーディングジョッキーをも得た名騎手だった。

騎手引退後、競馬の世界を題材として描いた「男の姿」に僕はのめりこんだ。登場する主人公の底にある品位のある高邁なプライド、優しさとぶれない男の強さを学んだ。それがイギリス人なのだと思ったりした。そしてなんともまあいつも登場する素敵な女性との出会いとハッピーエンド。僕もその女性たちに憧れたのだ。
理屈はどうあれ毎年の新作を心待ちにしていた。

一方登場する主人公たちが同じで、文体も組み立て方も違い、彼らは何年たっても歳を取らないが、そのスペンサーのカッコイイ生き方を味わった。僕が一言スペンサー流で呟きでもすれば、気障でカッコワルイオトコと思われるのがおちの一言にしびれ続けた。
「彼とおれは、同じ寒い国の一部なんだ。きみは違う。きみは温かさの源だ。ホークにはそれがない。おれがホークと違うのは、きみがいるためだ」
妻君に試しに一言同じことを言ってみたい!あんたどうかしたの?僕を覗き込む妻君の心配そうな顔が目にちらつく。

「命あるかぎり」私が言った。
「もっと長いかもしれないわ」スーザンが言った。

そう、二人はいなくなったが今この一文を書いている僕の周りには数冊の二人の著作が積んである。だから即座に、スペンサーにもスーザンにもホークにも会える。そして作者D・フランシス自身が好きになって4回も登場させたしたシッド・ハレーを呼び出すことも出来るのだ。スーザンが言うように。いつでもいつまでも!(2/28)


さてふと思い立って今朝の電車の中で、D・フランシスの19作目「反射」(初版発行1972年)のページをめくった。主人公になる騎手フィリップ・ノアの落馬から物語が始まる。微かに読んだことがあるなあと感じたものの(競馬シリーズは全て読んでいる)、読み進めるうちにそんことはどこかに吹っ飛んで引きずり込まれた。D・フランシスは亡くなったが僕の目の前に蘇ったのだ。