日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

台風・一過の3日間:`秋深し`の底にあるもの!

2009-10-09 12:44:49 | 添景・点々

10月7日。朝の11時。交差点で信号を待っていて空を見上げた。
超高層ビルの先端を青空をバックに千切れた白い雲が飛んでいくのを見て目が回った。新宿公園に沿った舗道を事務所に向かって歩くと台風で折れた欅の枝が散乱している。
台風一過、見事な晴天にはなったが強風に大木がまだゆさゆさと揺れている。

3時間前の朝8時、そろそろ出かけるか、と自宅から小田急線の高架を見ると、電車が走っていない。テレビでは台風情報を途切れることなく流し続けているが、JRの運休の様は伝えているものの私鉄の状況がわからない。
妻君がインターネットを開いた。本厚木―海老名間が止まっている。路線に×印がついているという。まあ仕方がない、のんびりしようとテレビを見ていたら、某大学教授がなかなか熱帯低気圧に変わらない昨今の台風の様を解説していて見入り、考え込んでしまった。

列島は秋の気配に包まれているが、海水面は夏。水温が27度c~28度cくらいあるのだという。その温度差が台風の猛威を助成している。温暖化の実証なのだ。昨年ずぶぬれになって往生した局所暴雨にも思いが行く。
いまさら布団にもぐりこむ気にもならず、建築会社に指示を出すFAXの送り状に文字を書き始めたら、電車が走り始めた。混んでいるようだがそのうち空いてきた。よし出かけよう。

午後3時からのJIA関東甲信越支部のイベント、アーキテクツガーデンの会合に臨む。「建築家写真倶楽部」で行う写真展「MY HOME TOWN」の展示スペースやテーマ設定の説明をしたりする。
今年のこのイベントのテーマは「日本の暮し・わがまち」なのだ。

そこで大学の後輩にあう。
神代雄一郎教授の下で「沖ノ島」のデザインサーベイをやって、彼の調査した野帳が「日本のコミュニティ」(鹿島出版会刊)に掲載されているのだ。
「沖ノ島はね、四国本島の人からは島自体が聖域としてあがめられていたんだそうだよ」と伝えた。エッ!と彼は驚く。
「沖縄の斎場御嶽(セイファーウタキ)から拝む久高島のように・・」石垣が段々に積まれて山に張り付いた集落を思い浮かべる。沖ノ島に住む人の思いは?とわがまちを考えなながら想いを投げかける。

翌10月8日。
札幌のMOROさんから飛行機のチケットを送った、時間の経つのが早いですネエとメールが来た。11月1日から3泊4日で北海道に行き、専門学校の設計課題の講評をやり学生と建築談義を行うのだ。
ふと北海道に向かっている台風を思う。依頼されている仕事をこなし、「MY HOME TOWN」の展示のレイアウトを検討し、PDFにしてメンバーに送った。
そうだ、今夜はサッカーだ。跳ぶように急いで家へ帰った。JAPANと香港の戦いの後半に間に合った。岡崎がハットトリックをやった。

一夜が過ぎた。10月9日。空を見上げると晴天に白い雲が留まっていて「秋深し!」。
この台風は人を殺め、竜巻を起こして家屋を破壊して温帯低気圧にならない今、北海道を襲っている。
MOROさんに電話した。札幌は何事もない。釧路方面の東海岸沿いは風雨らしいがという。広い北海道を思いながら、2週間前に完成した住宅が竜巻に襲われたらどうなっただろうとふと思う。自然災害とだけはいえない自然災害を考える。