日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

四国建築旅(6)金刀比羅宮と、魚と地酒の店「小染」

2009-09-02 21:49:48 | 添景・点々

四国を旅するときには金刀比羅宮(こんぴらさん・ことひらぐう)に参拝したいと思っていた。
最近テレビに登場する田窪恭治の描いた椿の壁画や(フランスの田舎の教会の壁に書いた林檎に匹敵する)陶板のあるレストランがあるし、歌舞伎をやる金丸座もあるが、1960年代法政大学教授だった建築家宮脇檀さんが、あの石段の両脇に建つ建築を学生達と実測したデザインサーベイの図面も見ていて好奇心を刺激されてもいたからだ。よくトライしたなあという感慨も込めて・・なんせ石段は785段もあるのだ。

それに高校時代の同級生から半年ほど前、念願の四国四十八箇所巡礼を踏破したと下田君からは綿々たるメールがきたし、英語とスペイン語の得意な征四郎君からは、スペインのサンチャゴ巡礼を今年もやっていると、街道沿いの宿坊からローマ字メールを送ってきたりして感じるものもある。俺達もそういう歳になったとか、とはいえ二人とも信仰心からとは思えないなあ!ということもあったりして、ともあれ「四国建築旅」初日の宿は「琴平」の`つるや`にした。

それが鳴門で時間を食い、丹下健三の香川県庁舎、大高正人の坂出人工都市を見て周り、目指していた瀬戸内海歴史民俗資料館にはついに立ち寄れず、宿に着いたのは雨の降り始めた8時を回っていた。金刀比羅まいりは明日の早朝にした。

なんたってまずうまい物を食いたい。ビールをぐっとやって、味わいのある地酒をちびちびと飲みたい。そして金倉川沿いに「小染」をみつけた。

旅には出会いがある。僕達の旅は建築三昧で心をうたれた建築にも出会ったけれど、今ほのぼのと思い出されるのは「小染」の親爺とひっそりと親爺さんを支える奥さんの笑顔だ。
もらった名刺にも「魚と地酒の店」と書いてあるが、魚がうまい。
カワハギの刺身と肝、思わず藤本さんと目をあわせて溜め息をついてしまった。関鯵もいい。親爺も奥さんも寡黙だが、僕達の様子を見て嬉しそうだ。
「司牡丹・船中八策」や「芳水」というお酒もいい。まずかろうはずがない。
話のやり取りが始まった。

金丸座に歌舞伎は知られているが1年に一度しか行われず、その間は閉じているという。内子座のことを思い出した。

僕が四国へ来たのはたったの3回だがそのどれも印象が深い。
1995年、高知へ幕末の絵師「絵金」の屏風を見に来て撮影をした。土佐出身の大学の先輩が芸術祭参加の「土佐草子血染薫的」という講談家宝井琴調さんを起用して行う「絵金」を題材とした芝居のための写真を撮ったのだ。僕の写真はポスターやパンフレットに使われた。

2度目は2000年のJIA内子の大会。内子座で行われた大会でゲストとして招いた作家「早坂暁」さんの基調講演を思い出す。
歳をとり夫婦で四十八箇所巡礼した知人の逸話だ。厳しい階段を上る時、手をとっても振り返ってもくれない夫になんて薄情な人だと恨みつらみ一段ずつ石段を登ってやっと本堂にたどり着いた時、夫の息も絶え絶えの様を見て、この人も妻にかまう余裕もなく必死に登ってきたのだと愕然とし、それが一緒に生きていくことなのだと悟ったという話だ。
酒の肴にはいい話だとおもわない!

僕は刺身をつくってくれた親爺とそっと見守っている奥さんを見て早坂さんの話を思い出したのだ。
でもこのエピソードを語りながら「わが身を思う」とは我が妻君には言い難い。言い難いことには藤本さんも同感、それが男の酒だ(苦笑)。

早坂さんの話は「生かされている」ということになっていくのだが、それには違和感がある。「生かされてされている」、それは不遜だ。バイク事故で若くして亡くなった友人や、戦火で亡くなった人を思うとき、僕はいってはいけない言葉だと思うのだ。それは別の機会に書くことにしよう。

翌朝の雨の中の785段の石段。息も絶え絶え、大変だった。

<写真・了解を得たので「小染」のご夫婦を掲載する>