日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

DOCOMOMOの京都(1)デルフト工科大学建築学科校舎の火災

2008-05-23 18:10:52 | 建築・風景

オランダのデルフォト工科大学建築学科の校舎が、5月13日に全焼した。
DOCOMOMOを提唱したヘンケット教授が在籍していた大学で、9月にロッテルダムで行われるDOCOMOMO世界大会の事務局がある。大会にあわせてこの校舎で2000年に行ったDOCOMOMO Japan20選(+105選)巡回展をやりたいという要請を受けていて、日本のモダニズム建築の姿を伝えるいい機会だと開催の検討をしていた。

日本サイドの窓口になった京都女子大の北尾准教授に来た、生々しい火の出ているリアルタイムの写真に衝撃を受けた。大会事務局の資料やデータは持ち出せたので大会は開催すると伝えられたが、大学が所蔵していた膨大な書籍や、コルビュジエやミースの原図が失われたと連絡が入った。
原因はスプリンクラーが故障して流れた水による漏電とのことだが、倒壊の危険があり踏み込めない状況だとも伝わってきた。あっという間に全館に火が回ってしまったのは怖い。Japanからお見舞い状を送ったが、建築学科の再興など大変なことだろうと胸が痛くなる。

中国四川の地震災害にも心が痛む。苦しむのは庶民だと、報道される映像を見るたびに心が騒ぐ。
昨日のテレビで、防衛装備品調達汚職事件の証人喚問で、情報公開を否定した与党が審議出席を拒否したと伝えられた。公開され、質問されては困るのだ。裏に何があるのかと肌寒くなる。ところが新聞には与党欠席が書かれていない。これも気になることだ。

物をつくる喜びを萎えさせる国交省の建築界性悪説にも暗澹たる思いがある。同じように、建材などのそれも大企業の偽装報道もされており、そのどれもが日常化されて、いつの間にかそんなものだろうというような冷めた空気に包まれていく有様に、どうしようかと落ち着かなくなる。
こういう事態の中で、ブログとは言え、得々と文化論を書いていていいのかと思うことがある。だから書かなくてはいけないとも思わないではない。とりあえず前を向こう。

DOCOMOMO Japanの京都大会は、聴竹居の見学から始まった。
前川國男の京都会館、大谷幸夫の京都国際会議場の見学も行い、無論改めて観たどの建築にも建築家として感じるものがあるが、伊藤忠太のつくった小さな奇態な彫刻が玄関先で僕たちを迎えてくれる聴竹居見学には、ちょっとした好奇心があった。さて彼がどう見るか?

藤井厚二が1928年(昭和3年)大山崎の自分の土地1万坪に、実験住宅として建てたこの住宅を見たくて、DOCOMOMOに入会した方がいる。
見たいと相談があったときに、この人が!と思ったが見たかったら入会してくださいよと冗談交じり言ったところ即座に入会してくれた。たとえば京都国際会議場の、コンペなのに詳細な描き込みをした驚くべき矩計図を描いてしまう建築家だ。その建築家がこの住宅をどう視たか?
「どうしようもない。凄い」

そうなのだ。僕はこの住宅を訪ねるのは3回目。
8年前、神戸の芸工大教授連と京都工繊大教授連が見学するというので、新幹線に飛び乗った記憶がある。そして見るたびに不思議感に捉われる。その当時銀色のオペルに乗って京大に通った(教授として)藤井厚二という建築家のダンディズムが凝縮されている。

有機的建築と定義されるF・Lライトの持つ空間構成と、マッキントッシュに影響を受けた、いや実験住宅だから試みた、そうではなくて「自分の作品としてつくった」と言ったほうがいいのかもしれないディテールとその肌触り。自然環境を考えた設備構成を実験したとも言われるが、無論それだけではない。
理屈はともかくいい建築なのだ。

<写真 木々に埋もれた聴竹居>・<デルフォト公開大学建築学科校舎の火災は当初15日と記載しましたが13日でした。原因についても様々な情報が飛び交っているようです>